菩薩

精神(こころ)の声の菩薩のレビュー・感想・評価

精神(こころ)の声(1995年製作の映画)
4.0
遅すぎるマジカルチェンジをやっているかのように、いつか変わる、動くはずの画面とにらめっこを続ける我ら、そこに追い打ちをかけるように、ソクーロフのイケボが乗りモーツァルトが奏でられ、メシアン、ヴェートーベンとトドメを刺してくる(挙句の武満!)。この時点で多くの観客は即寝ーロフ状態に追い込まれていたが、なんたってこの映画は全5部制、320分超えの長丁場である。その後も『チェチェンへ アレクサンドラの旅』よりも静かに、そしてゆっくりと、ソクーロフの戦争現場リポートが続いていく。戦闘らしい戦闘が起きるのは第四部になってから、それまでは申し訳無い程度の銃声が鳴り、面目を保つ為の迫撃砲が放たれるが、特に何が起きるわけでもない。若き兵士達はラジオを聴き、タバコをふかし、飯を作り、虫と戯れ、塹壕を掘り、「タジク戦線異状なし」とでも言うべき戦場の生活を続けている、そこには犬も猫いる。凍てつくロシアの大地が兵士の夢へと溶け込み(逆とも言える)この映画は幕を開ける、彼らが派遣された戦地は6月だと言うのに酷く暑い、雷鳴轟けど雨は降らず、乾ききった砂を風が巻き上げていく。任期を終え故郷に帰る者もいれば、命を落とし帰れぬ者も出てくる、生き残った彼らは戦地で12月31日を迎える。迎える1995年、もうすぐ任期も終わる、故郷に帰れる、母に会える、祝杯をあげながら歓喜する若者達、山頂の兵士達は「撮影は順調ですか?」と監督を優しく迎え入れる。我々は帰らねばならない、彼らの精神の声を皆に伝えなければならない、しかしこの映画に映し出された彼等は、誰一人として生きては帰れなかったらしい。もはや戦場に美学は無い、この世に神はいない、戦争は彼等の生活へと侵入し、そして飲み込んでしまった。傷ついた天使達を、悪魔は容赦なくあの世へと連れ去っていく。これは静かな戦争の記録、静かな反戦の声、彼等の精神の声は、もう誰にも届かない。
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