垂直落下式サミング

ガンファイターの最後の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ガンファイターの最後(1969年製作の映画)
3.5
昔気質の頑固な保安官と近代化する市民の対立が描かれる西部劇映画。古き良き時代を象徴するような老保安官が、射殺されるまでを描いている異色作。
新時代に向かう町のなか、一人だけ前時代に取り残された保安官。20年も町を守ってきたベテランだが、権力者たちが町を新しい姿に開発していこうとするなかで、次第に彼の様な昔気質な男の存在が邪魔になってきて、ガンマンによる統治は用済みとなるわけだ。
主人公の保安官が、みんなから慕われたり、尊敬されたりしていなくて、けっこう嫌われているのがなかなか新鮮。町にいる人間の表と裏を把握しているが故に、避けられ煙たがられているのには嫌な生々しさがある。
住人たちには暴力保安官として距離を置かれ、有力者達からは決定に従わない頑固者として露骨に疎まれており、とある男を射殺したことを皮切りとして、積年の恨みが不信感となって沸き上がってしまう。この構図が物語に暗い影を落としており、悪党を倒して気楽にめでたしめでたしとはならないのが、ニューシネマの時代ってことらしい。
描かれるのは、保安官が銃を抜くたびに状況が悪化して立場が危うくなっていくさま。本人も、もはや正義や信念だけで戦える余地は無いことは薄々気付いているし、これまで自分のやってきたことが恐怖による統治であったということにも自覚的だが、それ以外にやり方を知らないから変化を拒む。
ゆっくりと泥沼にはまってゆく。矜持を持つからこそ、その重量に身動きがとれなくなって、ずぶずぶと足元から沈んでゆくようなはなし運びが見事だった。
アクションは泥臭い。主人公もちゃんと腹やら足やらに被弾して苦しむ。でも、ずっと明確な悪人が不在なもんだから、誰が死んでも画面が悲愴に染まる。世の不条理にただ飲み込まれるのではなく、最後の最後まで足掻いてみせてほしい。爽快感がなさすぎるのもいかがなものか。アラン・スミシーのはじまりっすか、なるほど。
途中で出てくる郡保安官はジョン・サクソン。『燃えよドラゴン』でブルース・リーと共演したことで知られるが、『エルム街の悪夢』のナンシーのお父さん役が好きだったりする。意外と一度見たら忘れない顔だ。