ささ

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!のささのレビュー・感想・評価

3.5
現実とか事情とか関係なく、ナンセンスな人道的理想を主張して行動し続けるしんちゃんが大好き。それを観て、子どもと愛を信じて、共に戦う野原一家も大好き。

犬のケツに爆弾がくっついて、地球を吹き飛ばしかねないなんてことは起こらないけど、
同じくらい不都合な真実はたくさん存在するし、それと向き合うときに、大人は現実的に正しい「大人の都合」ばかり見てしまいがち。子どもは感情的に正しい「不可能な理想」が叶わない理由を飲み込めない。

俺は前者の物の見方になることを「成長の証」とは思わない。どっちも忘れてはいけない大切なこと。どっちも考慮した上で、できることが「何もない」のは、愚かなことではない。
そういう後悔とかやるせなさを繰り返して、それでも止めずに不都合な真実たちと向き合わないといけない。

野原一家は後者、子どもの見方を尊重した。映画はご都合主義にしんちゃんの想いが届いてしまったが、観客の対象が「子ども(ファミリー)」なのでそれに文句は言うまい。むしろ年を重ねるごとに大切な子ども心や馬鹿な理想信じる力を失っていくという自然な"退化"を押しとどめるために、「最後まで諦めるな、正しいと思ったことをやれ」というメッセージを込めるのは、それで正しいという気さえする。

この映画では大人が子どもを理解し、協力するという展開になったが、クレヨンしんちゃんという作品全体としてみると、いつもいつもそういうわけではなく、しんちゃんが、「大人ならわかる現実的な都合」を飲み込まなければいけない場面もあり、しんちゃんは2つのせめぎ合いの中で(とはいえ5歳なので馬鹿な理想・正しさをおいつづけるという基本には則って)成長している。
事実、カスカベボーイズでは、状況に強いられたとはいえ、ツバキちゃんのことを諦めている。

繰り返す。「大人の都合」がわかるようになるのは断じて「成長」ではない。大人だって子どもの純粋な心でこそ叫べる正しさを忘れちゃいけない。それを抱いたままで、「大人の都合を考慮できるようになる」のは成長に違いないが。

不都合な真実と向き合うとき、いつもこう思う。
それを変えられる人は「馬鹿げすぎていて誰も考えないような理想を、誰よりも現実を分析することで、可能に変えようとする人」だけだと思う。

本当に映画のレヴューじゃなくなるからもうやめよ。
オトナ帝国、戦国で味をしめたしんちゃん映画が、この映画を「お涙頂戴」と言われるのはぶっちゃけしょうがないとは思います。だってそうじゃん、これ笑

プロットはお涙頂戴だけど
キャラクターの言ってることにはおもわず頷いてしまいます。
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