ささ

ドライブ・マイ・カーのささのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.3
小説を読み終わったときの気分になる映画だった。
こういう形容をしたくなる映画は初めてかもしれない。

村上春樹は「どちらかというと好き」くらいで、何作も読んでいるわりにはそこまで自分に刺さっている作品はない。純文学寄りにしては読みやすく面白い(他に自分が読んでいるものとの比較にすぎないが)ので読んでいるという感じ。

しかし、この映画は人物たちと出来事の関係性が絶妙でまさに「こういう小説を書きたいんだよな僕は」と思わせられるような脚本だった。

村上春樹ってこんなに文学文学した人間たちと出来事と心のネジれを描けるのか、と感動してしまった。どちらかというと文体によるドライな雰囲気やぶっ飛んだ比喩や設定が魅力の作家というイメージだったのだけど。

と思い、帰りに原作小説を買って読んでみた。やっぱりという感じだった。
要するに村上春樹は僕のイメージどおりで、本作の村上春樹らしからぬ力は映画の脚本作成時に吹き込まれたものだったみたい。
原作短編小説はそれ自体でも好きだけど、映画でここまで化けるの、と驚いた。
主人公に演出家という要素を加えたこと、高槻というキャラクターの再解釈、妻(音)というキャラクターへの大幅な肉付け、伴って物語のキーという追加されたヤマガの挿話、韓国人夫婦をはじめとした『ヴァーニャ伯父』舞台出演陣と多言語要素、そしてドライバー渡利の過去の脚色。

濱口監督が脚本も取られたということで、「もうこの監督の作品は全部観るしかないだろう」です。

「僕は正しく傷つかないといけなかった。」このセリフが原作によるものなのか、映画脚本によるものなのか。それによって僕が惚れ込んだのは何なのかがわかる気がした。脚本によるものだった。濱口監督はこの映画を観ただけでもうお気に入りの監督になってしまった。

とはいえ、スピンオフや二次創作が産まれることは作品が優れている証拠。それだけ消費者の心にいろいろな絵を描かせ、想像力を掻き立てる。
この作品も村上春樹の原作が濱口監督をはじめとする脚本陣にここまで作り込ませる動機付けを撃ち込んだからこそ産まれたと思えば、なんだかんだでさすが世界のハルキ・ムラカミだなぁとも思った。
原作小説は『女のいない男たち』という比較的新しい短編集に収録されている。他の短編も期待して読んでいこう。

映画『ドライブ・マイ・カー』、アカデミー賞でも盛り上げてほしい!

商業映画ばかり注目され、かつては世界をリードしていた邦画は最近盛り上がりに欠けているというが、日本には優れた監督や役者などすごい人がたくさんいると思う。決してレベルが低いなんてことはないと思う。お隣韓国もエンタメ業界で世界を席巻していることだし、この映画の国際映画界での連続受賞を機に、日本の映画もまた盛り上がるといいな。

(こういう評価される映画の原作が村上春樹というのは広告的にも利があっていいですね。)




追記。

村上春樹『女のいない男たち』を読み進めると『シェエラザード』という作品があった。性交後に物語る女性が出てくる。前世がやつめうなぎで、高校時代に好きな男の子の家に空き巣に入っていた女性。
この映画のクライマックスを演出するのに不可欠だったこの挿話は、『シェエラザード』という別の短編からの引用だったみたい。
それにしても映画『ドライブ・マイ・カー』における改変と組み込み方は本当に秀逸だと思う。




さらに追記。

『女のいない男たち』を読み終わった。『ドライブ・マイ・カー』のキーセンテンスだった「僕は正しく傷つかないといけなかった。」という言葉は映画脚本で創作されたものだと思っていたが、これは同短編集収録の『木野』からの借用であることが発覚。村上春樹の言葉だ。
映画『ドライブ・マイ・カー』は『女のいない男たち』に含まれる3作品『ドライブ・マイ・カー』『シェエラザード』『木野』の要素を織り交ぜた上で、さらに映画独自の脚本として要素が付け足されている。
「足し算ではなく掛け算」ならぬ「掛け算ではなく乗算」と言いたくなるパワーが映画脚本にはある。
ささ

ささ