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ファイト・クラブのざべすのレビュー・感想・評価

ファイト・クラブ(1999年製作の映画)
5.0
クソクソクソ最高!!!
デイビッド・フィンチャー監督は「セブン」「ベンジャミンバトン」を鑑賞済みの3作目。
前述の2作は惜しいものを感じつつそんなにだったんですよ。
けど、確かに何かを感じていて、それが今作で大々々解放。

もうOPからイカしてて!
物語の大きなギミックは、タイラーと初めて会話したときに気付いてしまいました…。(それ以前の映像に象徴的に挟まれたら印象に残って慎重になってまう(考察しちゃう)やん…)
後継の作品でこの素晴らしい設定が使用されているからですね。知らず視聴して2回目の視聴へと行きたかったですがそこは仕方がないの一言。

前からこの監督には映画へのバランス感覚や、人物一人一人の奥行き、全体の整合性と完成度。そしてこだわりすぎくらいの美学を感じていたのですが、まさに!私の趣味と!こちらの映画の要素が!噛み合いすぎて気絶しそうなくらい最高!!

それにしても、ちょうど昨日に観た「タクシードライバー」とだいたい同じ現状の主人公です。
タクシードライバーのレビューで『主人公は大層に見られることもあるが、“表面的”な奴だ』と指摘しましたが、「ファイトクラブ」もそこは同じかと思います。深くはない。チャラい。

むしろ「この映画は社会派だ!!」なんて本気で言ってる人がいてびっくりしました。
え?いや、消費社会の批判だのそれっぽい理屈言ってるけど信念ペラペラって言うのがこの映画だよね。
(もちろん社会へ問題は提起しているが、当映画内のセリフには“社会”へのなんの解決や内容の確かさもないという意味で)
説明がムズイな。この映画は結局、『“社会”じゃなくて“個人”の映画』やで。
不眠症や無味乾燥な生活、ムダでも出向きしかもノルマのある向いていない仕事、元々コミュニケーションが機能しない自己完結型の性格…これらの毎日が積み重なりまともに思考出来ずにいたところのダメ押し“他者に理解してもらえない痛み”のパンチ……でノックアウトかと思えば◯◯病の会で救われた!かと思いきや蹴り落とされるこの始末。
そこで新たな生の実感、タイトルの「ファイトクラブ」ですよ。
この映画は、精神が疲れているのを気付いてもらえない男の話であって、これを“社会が〜”と捉えるのは観客の自由かと。
(映画自体は社会のせいでこうなったと言っているようで言ってない。
アパートがアレしたのも保険金と自分を傷つけるためのプレイの一種だし、彼の根本的問題もたとえば本人が言ってる通り愛し合う恋人が出来て一方的ではない他者との関係を構築できれば癒えた(解決した)可能性が充分にある)

…でも逆に安心したかもしれません。それほどこの映画が“リアル”であることの証明になると思います。
同じですよね?まるで宗教かと思うかのようにタイラーに不思議に魅了され惹き込まれたファイトクラブの会員そしてタイラー軍団と。
“称賛し映画のストーリーと同じ道を辿る”人々のなんと美しいことか…。

監督……これも計算した上だったら一生ついていきます…。
(そうでなくても全作品見ようとは思っています)

↓↓ 以下 メモ書きのような駄文(論文書けそうだよチクチョウ!!)
もうちょい「タクシードライバー」に関連付けてツラツラと。
タクシードライバーのトラビスと、ファイトクラブの主人公の違いは
・底辺の仕事をしている陰キャと、大手勤めのマジメ人間
・同じ鬱屈とした“キモさ”を持つはずなのにファイトクラブの方は気持ち悪さを感じない。むしろカリスマ
・犯行を一人でするか集団でするか。
・最終的に他人とどうなりたいか
・自分と相手どちらを傷つけるか
・言い訳をする方か
・私はなぜ「タクシードライバー」がそこまでハマれていない☆3.5で、「ファイトクラブ」が☆5なのか
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