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許されざる者のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

許されざる者(1992年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

荒事から足を洗っていたウィリアム・マニーの元へ若いガンマンが訪れる。娼婦に傷を負わせた賞金首の無法者を追うためだ。マニーのかつての相棒ネッドを加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビルは疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きにしていた。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及ぶ…。

「許されざる者」とは他人に危害を加える者、他人の生命を奪う者である。
それが正義(だと信じる信念)であろうとも、決して許される行為ではなく、その罪からは逃れられない…。
重いテーマの西部劇の傑作である。

マニーは、亡くなった奥さんと出会って引退したものの、昔は女子供も平気で殺した極悪人。
ネイティブアメリカンの妻と農民として暮らす相棒のネッドも昔は彼の仲間。

「娼婦の顔を切り刻んだカーボーイ」というキッドの話を聞き、傷ついた女性の復讐という正義の大義名分を得るが、所詮目的は金であり、復讐は人殺しだ。

街の保安官リトル・ビルは、「町の治安を守る」ため街の入口に「拳銃の持ち込み禁止」を掲げ、賞金稼ぎのイングリッシュ・ボブを公衆の面前でリンチし、見せしめにする暴力による独裁者。

話を持ってきたキッドも強がっているが、トイレに入った無法者の不意を突いて殺すような卑怯者。

人殺しに怯え、逃げ出したネッドを捕まえたリトル・ビルは、法の手続きを経ずにネッドを拷問死させた上、酒場の前に晒す。
しかしリトル・ビルは自分が悪いことをしたとは微塵も思っていない。
むしろ「他所者を排除した」「自分の法を無視した者に罰を与えた」と正義のために行動したと本気で思っている。

相棒を殺されたマニーは、怒りに燃え、かつての無法者の自分に戻る。
保安官と荒野で正々堂々対決をするわけではなく、保安官たちがいる夜の酒場に押し入ってライフルを発射する。

本作に登場する人物は、全員が「正義」という大義名分を得て暴走した人間ばかりで、全員が「許されざる者」だ。

マニーたちを雇った娼婦は被害者だが、法に頼らず殺人依頼をしたことは許される事ではない。

この物語はネイティブアメリカンから土地を奪い、正義の大義名分を傘に、他国と戦争を繰り返す米国そのものに向けられている。
リトル・ビルはそんな保守派の米国人を象徴するキャラクターだ。

この作品でイーストウッドは、西部時代を描きながら、西部劇は人殺しを美化した嘘っぱちだと、それまでの西部劇やヒーロー像を真っ向から否定。
数多くの西部劇でヒーロー(=米国人のスピリット)を演じてきたイーストウッド自身をも否定する。
現実には、人殺しに正義など無いのだと。

「西部劇(=アメリカンスピリット)を殺した」と言われるのも当然。
自衛のための身近な武力、アメリカの銃社会への批判でもある。
銃を撃つ直前の緊張感や躊躇い、撃った後の悲痛な叫びを聞き、湧き上がる重い罪悪感。
人を殺す側の逃げ出したくなるような恐怖。
銃があるから暴力はなくならないというメッセージである。
従来の西部劇の爽快な活劇は微塵もない。
暴力が復讐の負の連鎖を呼ぶ、虚無感に満ちた作品だ。
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