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許されざる者のparsifal3745のネタバレレビュー・内容・結末

許されざる者(1992年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

「許されざる者」を理解するためには、イーストウッド出演・監督の映画の系譜、彼の人間性を知る必要があると思う。彼は、朝鮮戦争に従軍し、アメリカ独特の男性像、強い男マッチョを表の姿として生きてきた。それは、過去のマニーの姿と重なる。しかし、その後、女性や人の優しさに触れる中で、自分の暴力性、制御てきない性欲と向き合い、悔んだり、怯えたりすることが出てきたのだろう。それは、年齢を重ね、過去の自分に怯えるマニーと重なる。
 娼婦は、この世界で弱い立場にされている国や人々か。正義の名の下に、怪しい者を暴力で弾圧するリトル・ビルは、町という社会を牛耳っているアメリカ等か。賞金稼ぎは、アメリカ等の暴力をよしとしない勢力ととらえれば、この社会の縮図を、「許されざる者」という映画で描いていることになる。
 自らの暴力性に気づき、自分の罪に傷ついていたマニーも、娼婦を切り刻んだカウボーイであれば、殺して賞金をもらってもいいというのは、マスコミによるプロパガンダで相手が非人道的な存在となれば、殺しても良いということにつながる。キッドとマニーは、二人を殺して目的を果たすが、罪もない友人のネッドを嬲り殺され、彼が、あの伝説の人殺しのマニーだと街の人たちに認識される。マニーは、ネッドに対する復讐と掘り起こされた記憶とレッテルにより、正義の名を借りた暴力を振るう奴らと戦い、娼婦等、弱い立場の人たちのために、殺人鬼に戻る決心をつける。
 上記の考察に基づけば、政治的なプロパガンダによって悪者とレッテルを貼られ、戦いの連鎖が続いてしまうと、復讐が復讐を呼び、この世界で「許されざる者」になっていくということだ。
 世界が「許されざる者」を生むシステムは、正義の側がプロパガンダを操ることによって、自分たちに都合が悪い存在に悪のレッテルを貼ってしまうからっていうことを言いたいのではないかと、イーストウッドのこれまでの映画に込められたメッセージから理解している。
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