おいなり

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーのおいなりのレビュー・感想・評価

4.0
白昼夢のような繰り返しと、シュルレアリスムの骨格を成すコメディ。

いわゆるループものの先駆者(始祖ではないにせよ、後のジャンルに多大な影響を与えたという意味で正しく)である本作「ビューティフル・ドリーマー」。

子どもの頃に夏休みまんが祭りだかなんだかで、早朝からコレがやっていて、そのシュールな世界観と普段見ていたうる星やつらとの温度差、そしてその難解さに、その日一日中はこの映画のことを考えていたのを覚えている。

原作者からは、自身の作品とは別物であると断じられた本作だが、実はそれこそがこの映画のキモであり、この「いつも見ているアニメ作品の延長線にありながら、別のものを見せられている」ような、まさしく夢の世界に迷い込んだような感覚を本作に覚えるのは、うる星やつらというコメディ作品の土壌があるからこそだと思っていて、これがオリジナル作品だったなら、本作の根幹を成す「違和感」は演出できなかっただろう。
うる星やつらという「日常」ありきだからこそ、反転した「夢」が意味を持つ。

近年、原作もののメディアミックスはいかに「原作に忠実に作るか」が重要視される風潮があるが、そういった保守的な価値観からは、本作のような時代の先駆けとなるような作品は決して生まれないだろう。
原作に忠実なものを見たいのであれば、原作を読めば良いと、僕は思う。



本作が評価されたのは、ただシュールで終わるのではなく、エンタメとしての完成度が非常に高いからだ。さまざまな作品から受けた影響をオマージュという形で盛り込みながら、コメディという骨子がしっかりしているからこそ、奇跡のようなバランスで作品が成り立っている。
このバランス感覚と演出技法の多彩さこそ、押井守という奇才を最もよく表している。

そして何より、絵作りのセンスが素晴らしい。
強いコントラストで描かれる世界観、エッシャーの騙し絵のような説得力。3DCG技術が未成熟な当時だからこその、「アニメでしかできない表現」を多様に盛り込んだ本作の画面は、大袈裟ではなく芸術的な存在価値すらあると思う。



なんとなく十何年振りかに見返してみたが、ストーリーなど覚えていないと思いきや、カットひとつひとつが鮮烈に記憶に残っていて、シーンごとに昔受けた衝撃が戻ってきた。
いまだに僕の中では金字塔的な作品。ループものも珍しくはなくなったが、本作の持つ独自の魅力に代わるものにはいまだに出会えていない。
おいなり

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