このレビューはネタバレを含みます
ある街の一角に潜む悪魔の話。
とあるアパートで昔から続く悪評。住民が子供を食べたという非現実的な噂。
そんな噂によって一時期は閑散としたそのアパートも、戦後からは住民が増えたという。
恐らく、
戦後で生活が困窮した、あるいは、肉親を戦争で殺された等で、心が荒んだ人々が、
悪魔に魂を売る事で、妄信的に救いを求め、またそれによって力を得たのではないかと想像ができた。
悪魔のしもべであるローマンが、当時から世界を旅してきたのも、仲間を集める為だったと考えられる。
最後のシーンで、チベット人が参加していたが、これが非情に興味深い演出だった。
チベット人はチベット仏教を信仰していて、生活の大半を祈りに充てるほど信仰に厚い。また、彼らは、今でこそないが、当時は外国人を悪魔と考えて忌み嫌っていた。ブラピ主演の7years in Tibetでその様子が描かれている。
そんな信仰厚く、外国人を悪魔と捉え忌み嫌う民族が、あの場の、あの仲間の中にいたという事は意味深い。
当時チベットでは、戦後の中国による侵略と圧政が進み、人々が虐殺されていた。そんな中で人々は国から逃げ、歩いてヒマラヤの山を越え、インドを始め近隣諸国に亡命し、今の各国のチベット難民が生まれた。チベットの象徴的地位にあるダライ・ラマも1950年代に亡命しいる。
そんな、母国における生活の過酷さを想像し、血の涙をもって悪魔に従属する事を決めたのであろうと、想像ができた。
恐らくあの場にいた誰もが、そうした不遇の経験から生まれた盲信者なのであろう。
そして、チベット人がしきりにカメラを回していたのも、きっとこの新しい悪魔の生誕を世界中に散らばる同胞に知らせる為なんだろう。
別の角度の話に移る。
本作では、色の使い方にとてもメッセージ性を感じた。
冒頭からピンクの文字で紹介されるキャストの名前が気になっていた。ローズマリーが隣人にもらった装飾品をしまうケースもピンク。隣人の着る服もやけに派手でピンクがあった。
対して、主人公のローズマリーが住む部屋は、着るものも含めて黄色が基調だった。
そこにやって来たピンクや青を纏った隣人。
恐ろしいのは、彼らは、ローズマリーと同じように、黄色の衣をその上にまとい、さもいい人を演じていた。
悪魔のしもべである自らを隠し、天使のように優しくローズマリーの家庭に入りこんできた。
そんな彼らの悪魔の誘惑によって、初めは主人が毒され、そして、ローズマリーも気づかぬうちに色を染められていた。
悪魔との性交の後、一度白い衣を纏った彼女は、妊娠の知らせとともに青や赤に色を染められていく。
何かこう、以前の黄色は、光や温かさ、生命感を感じさせていたのに対し、
後半の色味、青や赤は、死や血の色を感じさせるような、そんな印象の変化を受けた。
こんな風に色を大胆に画に忍ばせて、キャラクターの状況の変化や、話の展開を表現するのは、面白いと感じた。
最後に、
本作では花や植物が多く出てきた。
悪魔との性交の日は、突然真っ赤なバラが用意され、ローズマリーの服も真っ赤に染まっていた。
ローズマリーの花言葉を調べた所、ひとつに『あなたは私を蘇らせる』とあった。日本のサイトでの検索結果の為、アメリカでは同じ意味合いがあるのかわからないが、近い意味があるとしたら、悪魔の妃として意味深い。
またカトリックは子だくさん、という描写がアメリカ映画ではよくあるらしいというのも観賞後に知った。その点もローズマリーの設定として、悪魔に選ばれた理由なのかなと思った。
推測ではあるが、観賞後の考察を通じて、映画に込められた多くの意味が、色や名前、出てくるものから感じられた。
それを面白いと思った反面、
やや直接的すぎるようにも感じ、またお腹一杯な感覚も一方では受けた。
要素を削いで削いで、シンプルな中に美を求める、そんな美学もあり、特に日本の昔の巨匠と言われる方はそんな印象がある。
本作はエンターテイメントとしてはとてもよかった。
展開が読めず、非現実的な恐怖を日常の中に埋め込み、共感性のなかにゾッとするものを感じ、興味が終始そがれなかった。
一方で、映画としての美においては、ややトゥーマッチな映画だったかもしれない。あくまで、個人的な、今の感想です。