昼行灯

麗猫伝説 劇場版の昼行灯のレビュー・感想・評価

麗猫伝説 劇場版(1998年製作の映画)
3.8
まあこういう映画を撮るのはシネフィルの欲望だし、わたしもだからこそ見てみたいとずっと思っていたんだけど、かつての銀幕の女王の栄光への鎮魂歌というよりも、見世物の繰り返しなんだよなこれ。怪猫じゃなくて麗猫というのは大林の尊敬の念によるものなんだろうけど、、
そもそも1950年代に入江たか子が怪猫映画をやってたのは生活苦からだし、そこで観客が楽しみにしていたのは貴族階級なのに高嶺の花的美貌の女優として成功してた入江の零落と老化だった。それは1930年代の鈴木澄子でも同様だったし、怪猫映画がスター性を悪い意味で見世物にしてきたのは明らかだと思う。後の世代の映画好きは入江たか子が若い時代を知らないから、怪猫映画を見て入江たか子老けててワロタとかは全く思わないわけで、むしろミドルエイジの美貌を見せてくれてありがとうみたいな気分になる。大林宣彦の入江たか子経験もそんな感じだったと思う。けど、いくら尊敬の念を持っているからと言って80年代の時点ですごいおばあさんになっている入江たか子を大写しのロングテイクにするのはさすがに怪猫映画がやってきた老化の見世物の繰り返しじゃないか?という。娘の入江若葉の若さととても対比的に表現されてると思うし。まあおばあさんでもとても美人だなとは思うが。

『サンセット大通り』もまんますぎてオマージュというよりパロディでは?執事の見た目がシュトロハイムすぎて学芸会みたい。入江たか子にキートン、スワンソン、シュトロハイムの文字列を喋らせるのはどうなの。大御所を学芸会に付き合わせないでと少し思ってしまった。。
怪猫映画の小技である猫じゃらしの目的が復讐から誘惑へと変更されていたのは面白かったのかなと思う。その誘惑は良平だけじゃなくて、暁子に惹かれる映画監督たちや、はたまた入江たか子に魅了される私たちを過去へと誘っているみたいでもあった。あと行灯の油なめも見てみたかったけど、さすがに洋館が舞台だからむりか、、

瀬戸内という舞台がやっぱり良かった。入江たか子は孤島に住んでるけど、本島ととても近くて、もう過去のスターとなってしまったけど、今でも人々の近くにあって、親しまれている=よく訪れられているという印象があった。尾道の青や緑にバラや血の赤が映えていた。一方で部分的に色調の変化が少なくなる加工にはあまり必要性を感じられず、、
あとは、良平が2階の暁子の部屋に入った時、埋め尽くされるかのような大量の入江たか子の写真の怒濤のカットが展開されたのが面白かった。
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