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エイリアン2のKEiGOのネタバレレビュー・内容・結末

エイリアン2(1986年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

年末特番『エイリアン』マラソ~ン!
はい、2作目です。(ツッコミは聞こえてない)
リドリー・スコットからジェームズ・キャメロンへメガホンが引き継がれました。1作目とは路線を変更し、SFアドベンチャーとして復活。同じ題材で監督ごとのカラーを味わうことができるのは『エイリアン』シリーズの醍醐味ですね!
文献[1]で荒木先生が仰るように、”SFホラーとしての1作目の完成度が高すぎてアクション映画のフィールドに持ち込んだ”というのが本音でしょう。アクションアドベンチャーが観たい人は『エイリアン2』を、SFが観たい人は『エイリアン』を、というのが正しいですね。どっちが良い悪いって話じゃないと思います。

『エイリアン』のレビューで「エイリアン・フェミニズム」について軽く触れましたが、これを決定づけたのは『エイリアン2』でしょうね。『エイリアン』ではあくまでひとつの要素としてしか描かれていないので、1作目だけで「エイリアン・フェミニズム」を論じるのはやや飛躍を感じます(内田樹氏の"エイリアン・フェミニズム[2]"に軽く目を通した限りだと、エイリアン3作を観てのレビューのようなので内田さんが飛躍してるわけではないです)。しかし、本作を観た後では納得できますね(なんなら『エイリアン3』でさらにそれが加速するのですが)。
冒頭でリプリーの体内にエイリアンが寄生する悪夢も、あからさまな妊娠のメタファー。また、海兵隊に筋肉質で勝気な女性隊員がいるのも、本作が女性をテーマにしていることを象徴します。リプリーとニュートの関係やエイリアン・クイーンは母性を象徴していますね。
まだ内田さんの論文2本[2,3]を読めていないので、これに関する私の意見を述べることはできませんが、おおむね同意です。ここまであからさまだと肯定せざるを得ない…笑

フェミニズムのようなメッセージが直接的すぎるという意味でも、SFという意味でも、僕は『エイリアン2』より『エイリアン』の方が好みでした。アクションなら『AVP』の方が楽しいし、って思っちゃって…笑


"I got a bad feeling at this drop."というセリフにSWを感じてしまうのはパダワンの性…笑


参照
[1] 荒木飛呂彦, "荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論", 集英社新書, pp132-136
[2] 内田樹, "「エイリアン・フェミニズム」ー 記号としての身体・記号としての性〈特集 女性と身体〉", 女性学評論, pp3-26, Mar, 1996,
https://ci.nii.ac.jp/naid/110000505146/
[3] 内田樹, "ジェンダー・ハイブリッド・モンスター--エイリアン・フェミニズム(2)", 女性学評論, pp153-177, Mar, 1999, https://ci.nii.ac.jp/naid/110000505178/
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