デニロ

どん底のデニロのレビュー・感想・評価

どん底(1936年製作の映画)
3.5
1936年製作。原作マクシム・ゴーリキー。脚色ジャン・ルノワール、シャルル・スパーク、E・ザミアチン 、ジャック・コンパネーズ。監督ジャン・ルノワール。

博奕で失くした600万円は博奕で取り返す、とベトナム人技能実習生が、博奕なんてもうやめろという言葉にそう応じた。短い期間によくもそれだけ負けたものだと思うし、そんな大金そう容易く取り返せるわけもない。ベトナム人共同体もロクなものじゃない。結局、母国にいる親が息子かわいやで、自ら借金して立て替えて払ったようだったけど、金を稼ぎに来た者がとんだことになってしまって一家はお金の奴隷になってしまった。

本作の男爵は公金を賭博に使ったとかで役人の査問を受ける。一発大逆転の賭けにも負けて破産。抵当に入っていた土地屋敷調度品美術品が査定されている様子を諦めの境地で見届けている。そんなお屋敷に泥棒に入ったのがジャン・ギャバン。どれでも好きなもの持ってっていいけど、拳銃は返しておくれ。自殺するのに必要だからね。男爵を演じるルイ・ジューヴェは実に気品に満ちた立ち居振る舞いだ。

ジャン・ギャバンは、自分が住むオンボロ長屋兼故買屋主人の若妻との不義密通やら、盗んだ物品を若妻に売らせたり、そんな若妻の妹でありながら潔癖なこころ根を持つ乙女ナターシャへの恋情やらで大忙し。愛人の気持ちが妹に向かっていることに焦った姉は、妹に気のある小役人に妹を世話して自分の商売への便宜と妹をジャン・ギャバンから引き離すという一挙両得を目論みます。

一文無しになった男爵は、ジャン・ギャバンに誘われてそんなオンボロ長屋に転がり込んでくるのです。そこに住む様々な哲学を持つ男たちと男爵の波長は合うものの、いつまでもこんなところにいるわけにはいかないとかんがえているジャン・ギャバンは男爵の持つニヒリズムとは違う、欲望という電車を待ち望んでいるのです。

十人十色。歌って踊れる日もあれば、仲間の死を悼んで祈りを捧げる日もなければいけない。ならぬものはならぬものだというのがフランス映画のラストのはずなんだけれど、ジャン・ギャバンはそんなどん底から這い出さんとしてナターシャと共に前に向かって歩き出す。チャップリンの『モダン・タイムズ』のラストと同じ風景でしたが、チャップリンとポーレット・ゴダートの表情の先には暗い影が差していましたが、ジャン・ルノワールはふたりに明るい未来を希求させて終えています。

財産を浪費して詰んだ男爵を横目で見ながら、ジャン・ギャバンは気付いたのか気付かぬのか。自分が何を得たのか。

Morc阿佐ヶ谷 ここを抜け出したい男と/ここに落ちてきた男が階級を越えた友情を結ぶ
デニロ

デニロ