教室で隣の席の子のノートを間違えて持って帰ったせいで、その子が先生に叱られたことに責任を感じ、放課後にその子の家にノートを届けに行く話。
イランの家屋や田舎の暮らしぶりが見られる作品に出会ったことがないので新鮮だった。
上にも下にも入り組んだ無数の分かれ道と階段で迷路みたいな住宅地だった。
しかし窓やドアはアラビアらしい模様が施されていて、光が差した時の影が美しかった。
この子はひたすら隣席の子の家を探すが結局見つからず、翌日の宿題確認の時間に合わせて自分の分とその子の分のノート両方に宿題をすることで、先生からのお叱りを免れる。
主人公もそうだが、他の児童も放課後は家庭や仕事の手伝いがあり、また保護者も学習に対してあまり理解がなく、自分の学習の時間を確保するのは子供自身すごく頑張って自己管理が必要な様子だった。
学習への理解が無いなりにも、子供を大切にしているのは保護者や地域の人達の雰囲気でわかるが、高齢者は敬うもので、年長者からの要望は応えなければならない教えが強そうだった。その中でも、自発的に考えた「隣席の子にノートを返す為に家を見つける」ことを貫こうとするのは容易では無かった。子供の自発性を、大人の都合で阻害しないでほしいくてイライラしてしまった。
結局返すことができなかったが、その一つの中に、出会う大人からの妨害をすり抜ける、角を立てない言い方をする、なかなか見つからなくてもめげない、急ぎでも老人の歩幅に合わせる、など数々の忍耐力があった。
自分の落ち度とは言え、こんなにも人のことを考えて行動できるのは素晴らしくて脱帽した。
本作はプロの俳優を起用せず、現地の人にそのまま脚本通りに演じてもらったものらしい。
子供がありのままで、当然大人ウケする「大人の考える子供らしさ」ではないのが、家のことに強いたげられながら宿題をする大変さなどが顔に出ていて良かった。未知のものが無数にあり、それでも指示に従いつつ、自分の考えも大切にしたい葛藤が、子供として生きる大変さと考える。妨害する大人たちも生活の為や自分勝手な場合もあり、子供はひたすら揉まれてしまう。このむず痒さは、大なり小なり誰しも経験してきたはずだが、大人になるにつれて忘れてしまうと思うので、ありありと描かれていて良かった。苦しいけど。
学校の教室の時点から男女で分かれているのか、女性は教育を受けていないのか不明だった。先生も男性だったことから、一つの空間には同性同士しかいてはいけない決まりかもしれない。