石

サマーウォーズの石のネタバレレビュー・内容・結末

サマーウォーズ(2009年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

細田守監督の同作「劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」をほぼセルフリメイクしたような作品であることは有名ですが、そのセルフリメイクが巧くいっているかどうか、難しいところです。

 OZでのやりとりが抽象的で、パソコンでなんかカタカタやってるのは実際なにとどうリンクしてるのか謎ですよね。と思うといろんなデバイスで戦えたりしてるし、
まあイメージ上のものでしかないのでしょう。僕らのウォーゲームはデジモンという下敷きがあったからこそデジモン同士が電子空間で戦うというシチュエーションが成立していたと思うのです。
 また、ここまで大規模な話になってしまう場合、やはり一家以外の外部がまるで描写されない点は違和感を覚えます。重ねて、デジモンではあくまで主人公たちの中で完結していた話で、だから「僕らのウォーゲーム」だったわけです。今作で言うところの事件は規模も範疇も超えすぎているんですよね。世界中のアカウント制御出来ちゃうプログラム(?)にあんな大型機材一台置いただけで対処なんてそもそも無理な気がしますが、まあそれは良しとしましょう。数学が得意だからコンピューターにも強いみたいなのはちょっとねぇ。
 いちいちルールに則って戦ってくれる敵・ラブマシーンはなんなんだろう。っていうか知識欲で動いてる敵がなんで原子力発電所に衛星ぶち込もうとしてんだろうか。だんだん行動原理が滅茶苦茶になっていくんですね。諸々の機関が麻痺してる中電話は普通に繋がってるのも、もうラブマシーンのナメプですよね。本当にラブマシーンに関しては物語の都合のいいようにしか動いていない印象。
 要は僕らのウォーゲームから広げようとした部分にどんどん無理が出てきて、大きく違和感として出てきてるんじゃないかなと。

 あと、それ自体を責める訳ではないですが、これは誰がどうなった話なんですかね。青春劇と思わせておいて、実は現実味を帯びた人間ってのは一家側に集約してるんですよね。だって私たちは解ける人間が60人を満たないような問題は普通解けませんから。こいつの超人的なスキルを前にただただ応援する一家にしかなれないんですよ。個々が出来ることをやろうよっていう話であるのは分かります。ただ登場人物全員がはなから出来ない人じゃないんですよね。謙遜してた人が身内の死をきっかけに本気を出すという話。じゃあそのキーパーソンとなる陣内 栄がそこまでの印象を残す人間かというと、描写が足りない部分と間違っている部分がちょいちょいあって、転機としておまり機能していない印象。
  大体にしてこの婆さん酷くないですか。薙刀振り回した人間が冷静な人間だとは到底思えないし、遺言書で侘助にどれだけ優しい言葉を連ねていても、肉親に「今ここで死ね」と面と向かって言う人間の家には居たくないでしょう。きっかけの人間が直前で「なすべきことをやれ」と言ってやらないんですよね。で、そのまま死ぬっていうね。ただの頑固な婆さんじゃない頭の回る人だってことは各所への電話のシーンで分かってることなんだから、侘助に事情を聞いたときにもっとなんか有用な助言するんじゃないかなと。これじゃ完全に除け者ですからね。
 じゃあそれはそれとして、婆さんスピリッツは端々に届いているのかというと、なんかそれも微妙。身内の恥は身内で雪ぐと言いつつ、警官のバカタレが氷を別の場所に移動させていた件はとくに問題になっていなかったり。これがなければ話し終わってた話で、そういう細かい一点でも最終的な意味合いが歪んでいってしまうなぁと。

 デジモンでの既存のキャラを使った物語とオリジナル設定で作り上げる物語とでは、何をどれだけ描くかという配分は大きく異なるんでしょう。とくに観客が知らないキャラや設定に説得力を持たすことは当たり前ですが大切で、故にバランスが難しいんだろうなという本当に当たり前なことを改めて思う作品でした。
石