都部

ドラえもん のび太と夢幻三剣士の都部のレビュー・感想・評価

3.1
まず前提として本作の脚本は大きく破綻している。

藤子・F・不二雄の狙いとしては夢と現を巡る額縁構造の物語の展開にあったのは察せられるが、夢の世界/現実の世界に共存するトリホーの立ち回りの意図を回収出来ず、曖昧な線引きのままに物語が終わりを迎えるからこそ例の奇妙なラストカットに繋がると考えられる。

たとえば作中でのび太の母親が外部からボタンを押すことで物語を強制的に終わらせる場面があるが、その際にドラえもんのポケットは現実の場でも消失してお、これがかろうじての前振りとなっているのだ。つまりメタ的に途中で進行を放棄した物語は、散らかったままに現実と位置付けられている世界に反映されるという規則性が本作にはあって、その夢を途中放棄する無責任が現実を侵食する形で恐怖を招くという……話なのかなぁ。この不完全な物語の構図が、意図せず不気味な余韻を残しているのは間違いなくて、そういう意味では失敗から生まれた奇作だ。

だから物語を筋立てて講評することは難しいのだけれど、ソフトとしての夢幻三剣士の現実と夢の認識を次第に曖昧にさせるという設定が、異世界に存在するドラえもんによく似た人々の活躍として映るのは面白いと思った。シームレスに現実の意識を手放してその世界の住人として振る舞う面々は"いつもの彼ら"ではなくて、夢から冷めて安全圏に戻った時に毎度のドラえもん達の物語が進行するという断続的な縦軸も魅力の一つであるように思う。珍しくこの夢での冒険は実際に現実の危機を招かないが、この曖昧な空気感がもしかしたら……を予見させる結果に繋がっていて、全てが掌の上であるような雰囲気は実にホラー的だと感じられた。
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