ニューランド

馬のニューランドのレビュー・感想・評価

(1941年製作の映画)
4.2
 この作品を初めて観たのは45年前か。それから3回目位か、この間、最も親しみと畏敬を感じ続けてる映画であるに、変わりない。その特集では驚嘆すべき清水宏·田坂具隆らの大傑作とも出逢ったが、それらに劣らないとも言いたい位の銘品が、本作だった。150キロ台は出せるのに、135キロ程度の観客や会社へのコントロール中心だったのが、力を解禁した感じの恐るべき震えのくるような剛速球。江夏豊とはゆかずとも、野茂英雄位の球だ。今年の新作として、これを公開したとしても、今これを超える作品があるだろうか。奥ゆかしい天才が全開している(黒澤の引き揚げ·共同作者的重視も天才ゆえの慧眼)。
 ①軍馬育成賛美や家計の負担犠牲悲劇などではなく、1少女の感情と感性だけに添い尽くした、今でも誇れる視点のパーソナルで強固な迄の主体性。日中戦争から太平洋戦争へ、当時の日本映画には珍しい、原節子の最高傑作『東京の女性』らと並ぶ、女性の自我の芽生えへの見据えがある。母などに対し何遍も「情なし」と言い、ラストも周囲に通り一遍の感傷を封じる②囲炉裏から土間·馬飼育スペースの巨大、かつ当時普通の原寸大·見映えはしないメインセットの設定③それを出てのオープンセットや舞台岩手の実際農村を正確に繋げた空間と、季節の花や雪やぬかった道·限りない野山らの量とスケールの同伴·包み込み。馬や人の量も惜しみない(サラブレッドではない軍馬向き馬の力強さ)④退きのF·L主体で、映画的な誤魔化し·まやかしを排除した基本姿勢。縦の構図や映画をはみ出して活きるカメラワーク。⑤ドキュメンタリーの自然で計画を外れた様に見える劇テンポからは無駄にも見える要素が大胆に入っている、馬の出産前の心配の長女のかなり長いスパンの左右ウロウロ野果てない繰返しや、生まれた子馬が成長しての外へ飛び出し追い囃しても延々戻らず家の周りを廻り行き過ぎ戻り過ぎの繰り返し等。これがあるから紡績工場からの村への帰省で、牧場に寄り道しての、仔馬の「コゾウ」を探してると、一年で成長しわからなかった当馬が自然に後に尾いてってるのが、あたかもドキュメントのように感動させる。またヒロインの心の不安定にフィットしたような、手持ちに見えかねない、少し揺れながらの顔辺りのフォロー移動も複数ある。荒めのカッティングのところでのも敢えて取り入れる。⑥一方、馬による農作業や、仔馬がいなくなり半狂乱の親馬の跳ねながらの駆け回りらのカットの正確で強い地力を持ったモンタージュの冴えや、カメラが前後にかなり長く縦移動する劇映画の内面迫り操作も、同じウェイトで嵌め込まれ、違和はない。列車の弟を走らす馬上から見送る場も、乗り始めはともかく疾走させてるのは高峰本人でなくても見事だが、それを列車の席から窓越しに認める弟の図、次いでフォーム上を列車と並行移動しつつ、列車の弟捉えから右に大きく振っての、牧場を馬で疾走の姉をLでしっかり捉えれる、技量の力感も比類がない⑦馬の競り市の様子も効率よりドキュメンタルにリアル·迫真·細微だが、そこから最初に登場のメインキャラの酔っ払いの善三さんからして、なまはげやヒロイン励まし迄やかましく好ましいキャラだが、豊かなキャラの中でも、割と生真面目な父、頼りなく見えて子らがすがる祖母以上に、ヒロインの自分勝手·馬中心のあり方に、小言も多い母がやはり際立って、父を怪我させた馬を疫病神と嫌ったり、仔馬を戻す為に紡績に行くという娘に呆れたり、常にシビアで夢見がちを端から否定してくが、馬の出産時の肩入れ、慌てがちな事態のリレーや仔馬の見送り等では自然にかつより深まって娘と自然同化して、深く打つものがある⑧この監督らしく、唱歌や半漫画的絵のタイトル部などへの挿入が少年少女の心を保ち優しい⑨寄り入れや、その切返し続き纏まる所、農家の全景や、オープ含む家の出入りの柔らかいどんでん、広い土間を中心としたスペースのどんでんと縦や横のの行き来の都会空間では考えられぬ懐ろ、退きめのトゥショット長めも力あり、劇映画として計っても素晴しい確度⑩高峰秀子は少女から女へ成長してくる頃で、キャラの意固地さとどこかで自然にリンクしている。10代半ばだが、30歳の黒澤と並んでも違和はなかったろう。
 この作家が本気出すと、黒澤と普通に肩を並べられるを証明した作品で、馬の魅力に惹かれ·高値で売れるを家族に吹き込み、母馬を借りて仔馬を所有出来るに持ち込んだ、雪深さから四季豊かな岩手の貧乏農家の10代半ばの長女の、馬への一心同体化と自らの強め·深めを描く。秋~冬の父の怪我·馬の病を経て、春農耕馬としての一体労働、そして感動の出産、仔馬のヤンチャと共に成長、借金の為の早め仔馬売りを自ら紡績工場志願で防ぐ、祖母の死や上の弟進学離れもあっての盆休み、仔馬の競り売り迄立ち会うと、軍馬として思いもしない高値で売れ·工場に戻らずもよくなる。が、一時的には晴れない心は残る。
 初めて観た時は製作から30数年、しかし今や80年、農家や村や簡易店並ぶ街の通り、自然·共同牧場(うちの田舎では野呂と言ってた)など、限りなく懐かしく思えてもきて、正直参った。
ニューランド

ニューランド