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ザ・ロイヤル・テネンバウムズのその他のネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

なんかさあ、


人生がまあまあ辛い時はだいたい映画を観るんだけど人生がめちゃくちゃに辛い時は決まってこの映画を観てる。なんでいつもこれなのかなあって思いながら序盤からボロボロ泣くっていうのをもう何回か繰り返してるんだけど、おそらく、確かに自分が経験したことのある/今もなお感じている痛みと同じ(と言えるような)ものを抱えている人々が、滑稽に見えつつも、誰かを傷付けながら、明日死のうと思っても、それでもなお死なずにいた先に答え合わせみたいに現れるちょっとした偶然ときっかけのために人生の厳しい部分を乗り越えようとして、そして最後にはまあ諦めたものもあるけど取り返せたものもちょっとあったよね、そしてその取り返したちょっとだけでもあと数年はとりあえず生きようと思えるよねって言えるものを手にできるというのが、自分ももしかしたらいつかこうなれるかもしれないと祈るおまじないのように作用するから毎回これを選ぶのかなあというのが数回目の鑑賞でぼんやり浮かんだ気持ちだった。たまたま自分自身がずっと残し続けた怪我が一致したというだけの話なんだけども、マーゴもチャスもリッチーもロイヤルもイーライもラリーも、あるいはダドリーでさえ、かつての私だったし、今の私である。そして願わくば、彼ら全員がこれからの私でもあってほしいとも思う。そしてそう思える自分はちょっとだけ好きだから、おそらくこれからも人生が辛い時にはボロボロ泣きながらこの映画を観続けるんだろう。そうやってちょっとずつ延命している。

人生、生きてるとめちゃくちゃにどうしようもない致命傷を負ってしまうのにそれでも死なないから辛いんだけど、死なないでい続けると好きな人の好きな人が自分だってことを知れたり、子どもと悪いことしてはしゃげたり、面白い名前の犬を飼えたり、墓碑銘に好き勝手なことを書けたりする。作中ではろくでなしのロイヤルが仕事を得て子どもを助けたという行いで存外あっさり許されて映画が終わるけど、私もきっと万が一にもウェス・アンダーソンがどれだけの悪事を働こうと、この映画を作ったというその一点だけでずっと彼を支持し続けるだろう。生きてるのが辛い時に救われた、ただそれだけの事実で。
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