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トニー滝谷のKeigoのレビュー・感想・評価

トニー滝谷(2004年製作の映画)
4.0
イ・チャンドン監督の『バーニング』のコメント欄にて、genarowlandsさんが村上春樹繋がりで今作についても言及してくださって、そういえばタイトルは知っているけどまだ観てなかったなと思い至り。

なるほど、これは色々と考えさせられる映画だと思った。自分の中でぼんやりとした感想をどう着地させるか迷いながらも、最終的にはあまり深く考えずにスコアを付けることにした。それはなぜかを書いてみたい。

村上春樹の小説はいくつか読んでいて、ものすごく好きというわけでも、受け付けないというほど忌み嫌っているわけでもないけれど、どちらかといえば好きだ。これまでに観たいくつかの村上春樹原作の映画の中では、今作は最も村上春樹の小説が持つ空気感に近いものを纏っているような気がした。原作を読んでいないので内容がどの程度改変されているのかは分からないけれど、原作の内容に忠実かどうかというよりも、村上春樹の作品が持つ空気感に忠実というような印象。それが良いか悪いかは別として。

そう意味では村上春樹作品に対しての合う合わない、好き嫌いの感覚が、直接この作品に対して抱く感想と一致するという人も多いのではないかと思う。

ナレーションの言葉遣いや温度感、ナレーションと劇中人物の台詞の舞台劇のような呼応、鳴り続ける物憂げな音楽、ミニマルで空虚な映像の質感、独特な構図とカット編集、そういうある種独特の空気感を、序盤は多少訝しんでいたかもしれない。これは“映画”としてどうなんだろうとか、“小説の映画化”とはこういうことなんだろうかと。人物の感情の機微を、いかにも小説的な言語でいちいちナレーションで説明してしまっては、映画というよりむしろ映像が付いた小説のままではないのか?などと考えて。

そういう違和感や疑問が解決されることはついに最後まで無かったけれど、観終わって確かに心地良かったと感じている自分もいた。そう考えると映画というアートフォームにおける形式のあり方について、自分の思考や映画に対しての感想が縛られ過ぎるのもどこかつまらないような気がしてきて、頭で考えると色々と思うことはあっても、直感的に何か感じるものがあるというその感覚を大切にしたくなった。

「彼女はまるで遠い世界へと飛び立つ鳥が特別な風を身にまとうように、とても自然に服をまとっていた」

この言語感覚を美しいと思うか、キザで鼻につくと思うか、何とも思わないかはそれこそ個人の感覚に寄るところであって、その受容のされ方に正誤はないと思う。

そんな文章の連なりによって浮かび上がる思想や世界の捉え方はまた別としても、単純にその言葉の連なりが醸し出す雰囲気が自分は好きだし、その雰囲気がよく表現されたこの作品もまた好きだ。

なんだかこねくり回すような書き方になってしまったけれどシンプルに言えば、なんか雰囲気が好き、というただそれだけのことだ。


映画や小説や音楽、好きな芸術作品に触れ、それを好きだと表明することは好きな服を着ることと似ている。自分の好きな作品に出会った瞬間はとても満たされた気がするのに、もっと満たされるような作品がまだ他にあるような気がするし、いつまで経っても心のどこかにあるその空虚さが消えることはない。亡くなったトニー滝谷の妻が服を買い続ける気持ちも少なからず理解出来るし、「そんなにたくさんの服が、本当に必要なんだろうか」というトニー滝谷の言葉にも感じ入るところがあった。


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