エドワード・ヤンの遺作
結婚式で始まり、葬式で終わる見事な映画。
とある家族の日常を通して、人生の素晴らしさを語った傑作。
親戚の結婚式の日に倒れた祖母、祖母の介護に疲れて家出する母親、日本の会社と取引しようとする父親、姉ティンティンの淡い恋、そしてそれを写真で切り取ろうとする小学生ヤンヤン。
いやぁぁ、こんな映画観たら現実がつまらなくなってしまうと思いますよ。
人なんて現実では変わらないですからね…。だからこういう物語を求めているのかと想いました。
何かを失ってしまったからこそ動揺する。祖母が寝たきりになったことで家族間のすれ違いが起き、日常生活が変になる。
父親は初恋の人と再会するも上手くいかずに空回りしてしまうし、ティンティンも男の子との恋に戸惑い破綻していく。
ちゃんと人生について分かっているのは、二人だけ。一人は日本人ゲームクリエイターの大田。イッセー尾形が生き生きと演じていますが、彼はゲームを作り人生を表現したことによって、その意味を突き詰めたのだ。だからこそ、勤勉で教養があり楽観的にピアノを弾いて談笑する。その姿に父親は影響される。
そしてヤンヤンもそうなりつつある。ヤンヤンはカメラで日常を撮ることによって、人の見えない半分を撮るのです。それもまた表現であり、人の後頭部を撮った写真は、父親に言葉なき感動を与える。それは恋する女の子に話しかけられないからこそ、写真を撮るという芸術表現にするのだ。
そう『桐島、部活やめるってよ』にも通じるが、人生は好きなことを突き詰めるからこそ意味が見えてくるような気がする。私たちは失ったときこそ、再生を行う機能が備わっている。そこで何もしないで人任せにするのはなんだか気に触る。今こそ、私たちは突き詰めることをして、「志」を持たなければならないと思います。
エドワード・ヤンは後期に行くほど、映画が面白くなっていました!それもまた突き詰めることをしたからです。
病気で早くに亡くなってしまうなんて辛いです…。
でも彼の作風は、現在の映画作家たちに影響を与えているのでやはり映画は時代を超えて存在するものだと分かりました。
やっぱり「映画が発明されて人生は3倍になった」んですね!!!