ニューランド

狼の王子のニューランドのレビュー・感想・評価

狼の王子(1963年製作の映画)
4.4
勿論、この多彩で豊穣で堅実に見えて美しく歪んだ作家の最高傑作と思ってきた。今回のプリントはくたびれてていいとは言えず、力を欠いてるが、それでも原作からの右翼的であることの意味、自らの出処の保持する何かで迷い、引っ掛かり続けている危うさと眠ってて忘れかけてるを思い起こさせる作品であると同時に、ラスト辺の浅丘の化粧っ気薄く素に近く全テーマを引き受けてる顔の映画的直接表情からの離脱など、浦山の’69作品を予言しているように見えたは、今回の発見かもしれない。
それほどこの作家を知っている訳ではないが、何でも屋という以上に、映画に有りがちなテーマ・役作りの気負いというものが端から殆ど存在もしておらず、素の人間の内面が自然に出てくるばかりであり、造形的にもナチュラルな観点から途方もない豊かさ・柔らかさを産み続けてる。キワモノ的題材も浮かび上がらない。誰かが三隅・泰に次いでと揶揄するように言ってたが、私は本心で次にFAてレトロスぺクティブをやってほしいと思う。その題材を捌くのではない、活かす腕前を堪能したい、ある種ストイックな三隅・泰にはない豊かさだ。
私は舛田について殆ど詳しくないが、偶然観れた範囲でも、処女作の中篇にしてから映画的大傑作だったし、’60をはさむ初期の数年間は『赤い波止場』を頂点とするのか、裕次郎映画を中心とした、引き締まった映画のなかの映画とでもいったどこかストイックな作品群、’70年代以降は日活以外での多種プロパガンダ的と多く云われた大作群を含む期で実はそういった中傷を問題にしないくらい骨太作品ばかりで『大日本帝国』が頂点か、の間に挟まれた傾きかけた日活の屋台骨を中心になって支えた’60年代中盤~後期が、滅茶苦茶凄い円熟期だったと思う。『紅の流れ星』『艶歌』等も圧倒的に凄く、『ひめゆりの搭』『暁の挑戦』といった人によっては笑い種にする作品も全然悪くない。
本作のズーム・寄る・廻る・上下すカメラワーク、構図の角度・高低・サイズ、付き・離れ感絶妙の編集、暗部の方が活きてる照明のレベルは凄い。まるで気負わず、安保後の無気力・偽泰平そのもののトーンでそれが実現されてゆく。時代にコミットし日々の充実に向かわんとしてかつ虚無に囚われてゆくヒロインと、一方、自己の出自と、それが人為的に創られたことの特殊性の起源にだけこだわり(射殺の感触の嫌悪だけは別にこびりつき対峙してるが)・眼前の流れや周囲の風潮に直接呼応することには段階を置く主人公。この何にも明確に直接に行動を起こすことのない気質・空気を、世相・事件の変移を挿入するのへ併行して、ただ延々と頑固に描いてゆく、当然迷い・激しい葛藤はある筈なのだがそれを封じ込めてる映画そのもののあり方、この根っこは田村脚本というに留まらぬ豊穣な何かがある。
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