垂直落下式サミング

他人の顔の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

他人の顔(1966年製作の映画)
3.0
化学研究所の事故によって顔面にケロイド化した男が、人工皮膚の仮面を作成して、それを着けて生活するうちに、頭がおかしくなっていくおはなし。
映画化にあたって、主人公の主観によって描かれた原作の世界観から逸脱しており、そのほか美術によるサイケな表現主義によって目を楽しませてくれる。
が、物語の解釈はちょっと平凡。「観る小説」の域からは出ないのが惜しい。安部公房&勅使河原宏で、国際的に評価の高いと言われる『砂の女』はあんなにおもしろかったのになあ。
この作品では、「性格は顔に出る」「見てくれで人生は変わる」ってことが強く強調されているのだけど、それだとなんか普通。特に前者の解釈が浅い。内面ありきなのだ。それは原作の画一的な見方だし、わりとつまんなめなほうの解釈でしかない。
精神状態が肉体に影響を及ぼすのなら、逆も然り、つまりは「外見が中身を作る」のであり、肉体の変化にともなって精神もまた影響を受けるはずだろう。
仮面をつけることによって、その内面が影響を受けるさまを表現するくだりは面白いが、肉体の欠損による自己の喪失のほうは、あまりよく描けているとはいえない。この主人公は、あくまでも意思をもった「ぼく」であり続ける。
現代人は、個のアイデンティティを形成する要素を身体を切り離して考えがちで、性格とか意思とか感情とか、そういった内的な要素を心だとか魂だとか呼んで特別視しすぎている。
スピリチュアルでは、肉体とはそれらをとどめておく入れ物だというが、はたして本当にそうだろうか。肉体こそが自己ではないか?原作では、そういった問いかけもひとつの軸としてあったように思う。
心の有り様によって姿かたちが変わる。逆もしかり。そんなのを映像でみせられても、今日日ありきたりすぎてつまらない。