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他人の顔のakrutmのレビュー・感想・評価

他人の顔(1966年製作の映画)
4.5
顔にひどい火傷を負ってしまった男性が別人の顔を模した精巧な仮面を被って妻を誘惑するという、安部公房の同名小説を自らが脚本化し、勅使河原宏が監督したドラマ映画。両者の特徴であるシュルレアリスム的な映像とともに、主人公を演じる仲代達矢の個性的な演技によって、いかにも ATG といえるような芸術性が非常に高い作品である。ビアホールのシーンでは、安部公房本人が客として顔を出している。

テーマは、顔と自我の関係である。顔は、本人にとって自我の認識(自分のアイデンティティ)を考える上でほとんど重要ではない。自分が自分であることは、内面(意識)の継続性によって本人には自明だから。一方、他人から見た自我の認識では、顔(や外見)が最も重要になるのは言うまでもない。外見の中でも顔は特に重要であり、だからこそ免許証、パスポートなどの身分証明書に顔写真が必要なのである。自分の顔を失ってしまった主人公は、本人にとっての自我と他人から見た自我の乖離に苦しむとともに、外見の奇異さによる差別(いわゆる、ルッキズム)にも悩み、仮面を通じて新しい顔を手に入れ、自分と他人の自我を再び同一化させようとする。そして、妻でありながら夫の自我の認識を外見に頼り、内面を見ようとしないことに苛立ち、その復讐として、他人の顔で妻を誘惑するのである。ちなみに、これと対照的なエピソードとして描かれるのが、若い(といっても30歳近くだが)市原悦子が演じる知的障害を持つ少女との交流である。

また、このストーリーと完全に独立した形で、顔の半分にケロイド状の傷がある若い女性のエピソードが挿入される。小説にはないエピソードだと思うが、これらのシーンが意味しているのが、自我に対する自分と他人の認識の乖離ではなくルッキズム(外見による差別)であり、それがメインテーマの論点とややズレているのはちょっと気になった。個人的には必要なシーンのように思えない。それでも、この女性を演じているのが入江美樹というのはとても貴重で、とてもきれいです。
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