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アイズ ワイド シャットのワンコのレビュー・感想・評価

アイズ ワイド シャット(1999年製作の映画)
4.5
【人間の業】

※Bunkamuraル・シネマ ワーナー・ブラザース創立100周年記念上映 35ミリで蘇るワーナー・フィルムコレクション 。
今週はトム・クルーズ・ウィークっぽい。

この作品を改めて観て、当時、HIVウィルス、所謂、エイズ・ウィルスが問題になった時、これは性の解放やフリーセックスに対する神の警鐘だなんて言っていた宗教団体がいたことを思い出した。

そんな時代の特有な要素も盛り込んでいる。

改めて、この「アイズ・ワイド・シャット」は、人間の妄想(夢)と現実の狭間と、性的倒錯を合わせて、映像表現として難しいところに踏み込んだ作品なのだと思った。

性的な倒錯だけだとエロティシズムが妄想に勝ちすぎてしまって映画としては駄作になったり、妄想(夢)と現実の狭間の世界を表現しようとすると曖昧さが上手く表せなかったりするように思う。

文学ではもともとこうした倒錯した世界や曖昧な線引きはテーマとして表現されてきたところで、谷崎潤一郎さんの性的倒錯世界はそうだし、現実と非現実の曖昧なところは村上春樹さんの小説などにも出てくると思う。

ただ、映像表現となると、例えば、ツィゴイネルワイゼンは、この世のあっちとこっちみたいな感じはどちらかと言うと、生きている自分は実はもう死んでいるんじゃないかみたいな、オカルトちっくで、哲学的な問いかけもあったりして、やっぱり似て非なるもののような気がする。

じゃあ、この「アイズ・ワイド・シャット」はどうかと言うと、自分を律しようと試みるリアリティと、欲望そのものの性的な妄想を考えてみると良いのかななんて思ったりもする。

マスターベーションの際に(好感度低くてごめんなさいね)は、様々な妄想にかられることは男女に限らずあるだろう。
これはリアルかもしれないが、リアリティではない。

だから、時に、現実に引き戻す必要があるんじゃないのか。
伴侶は性の道具ではない。
しかし、「ファック」は必要なのだ(これも好感度が低い表現で申し訳ない…けど、エンディングでニコールキッドマンが言うんだよね)。

この作品については、公開直後に亡くなった監督のスタンリー・キューブリックが、はじめは傑作だと言ってたのに、のちにトム・クルーズ夫婦のせいで駄作になったと言ったとか言わなかったとか話題になったのだけれども、僕個人としてはなんとなくキャスティング・ミスだったんじゃないかと思ったりする。

この主演二人は、曖昧で倒錯した世界に溶け込まずに、悠々と回遊している感じがするのだ。
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