このレビューはネタバレを含みます
遠い昔の学生時代に見たことがあるようなおぼろげではあったが、Netflixのサムネイルがトップ画面に表示されていたので、見てみることに。
断片的ではあるが、見覚えのある内容やシーンが出てきて、やはり、一度見てることを再認識しつつも、当時もかなりの衝撃を覚えたであろうシーンを見た時の、やるせない怒りと嫌悪と憎悪で、相変わらずの不快感が脳内に行き渡る感じがした。
ブラピの若さに自分が歳を取ったことをしみじみと感じつつも、いよいよクライマックスへ。
ロバートデニーロ扮するボビー神父の判断は、正しかったのだろうか。
間違っていない者を救えない神
そのくせ、お高くとまっている神
キリストだろうが、アラーだろうが、ブッダだろうが、主人公の少年たちを救えないし、救わないし、救えなかったことを謝ろうともしないわけで、、、
そんな神に、間違ったことをされたことを、あるがままに受け入れなさい、と言われ続けてきたも同然ということに、中指を立ててやれ、っていうことであって、神父だからこそだと思うが、神をアテにすることの残酷さと虚しさを思い知り、神を理由に見殺しにすることよりも、神を利用して確かな救いを与えることを選び、彼らの苦しみを、自分も背信の念に苛まれ続けることで分かち合ってくよ、という英断に敬意を表したいと思う。
それにしてもなんでサムネイルがトップ画面に表示されたのだろうか。
奇しくも、ジャニー喜多川氏のドキュメンタリーが公開されてまもないワケだが、、、
もしかして、Netflixが密かにジャニーズに中指を立ててる、ということなのかしら?