かなり悪いオヤジ

小間使の日記のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

小間使の日記(1963年製作の映画)
3.5
この映画、ブニュエルのフランス復帰第一作目として語られることが多い作品であるが、メキシコ時代最終の問題作『皆殺しの天使』(1962)の流れで鑑賞した方がわりと理解しやすいのではないだろうか。『皆殺し』で部屋を出られるのに出られなかったやんごとなきブルジョアたちは、おそらくキリスト教に改宗した(私が復活するまでそこを動くなとイエスに呪いをかけられた)ユダヤ人=コンベルソだからだ。なにいってんのこの映画にユダヤ人なんて一人も出てこないじゃないって思ったあなたは、少々ブニュエルを甘く見すぎている。

オクターヴ・ミルボーによる原作小説は、ドレフュス事件が起きた1894年に時代をわざと設定しているらしい。普仏戦争に敗れたフランスでおきた、ユダヤ人フランス軍大尉ドレフュスが機密漏洩の濡れ衣を着せられた冤罪事件である。この映画はというと、一大疑獄スタビスキー事件に深く関わっていたと噂されらる当時の警視総監シアップの名前がラストシーンで連呼されていることから察するに、フランス国内における右派と左派の対立が激化した1933年頃と想定すべきであろう。そして、映画が公開された1964年はフランスがNATOを一時的に離脱したド・ゴール国家資本主義政権期に当たっている。

世の中景気が悪くなると、それを誰かのせいにして漁夫の利を得たがるやからが必ずしゃしゃり出てくるのである。ドレフュス事件もスタビスキー事件も、財政難に陥ったフランスが右傾化する過程で起きた反ユダヤ主義の現れでもあるのだ。人心を掴みやすいことからポピュリズムと結びつきやすく、その2つの事件後にフランスが2度にわたり世界大戦に巻き込まれたことからも、脚本を担当したジャン=クロード・カリエールならびにブニュエルが、当時のド・ゴール政権に一種の“危うさ”を感じていたのは事実だろう。

少女殺しの真犯人探しよりも、本作の登場人物の誰が一体ユダヤ人なのか、そのミステリーの方が個人的には一番興味をそそられたのである。主人公セレスティーヌ(ジャンヌ・モロー)の奉公先ランレールは、どうもフランス語で「とっとと失せろ!」という意味があるらしい。しかも当主のフェチ老人は、夜な夜なセレティーヌに自作の靴を履かせて眺めるのが唯一の楽しみ。どうも元は靴屋だったらしく、その娘は相当な吝嗇でSEX嫌い、性欲旺盛な入婿のモンテーユ(ミシェル・ピコリ)のお誘いにも全く興味を示さないどころか激しく拒絶するのである。

ゴルゴダの丘に向かうイエス・キリストに「とっとと失せろ!」と暴言を吐いたのは、ユダヤ人の靴屋であった史実を知っていると、この親子がフランス人の化けの皮を被ったユダヤ人であることに容易く気づけることだろう。おそらく財産狙いのフランス人モンテーユと結婚したのはフランス国籍を得るためで、ゴミを隣家のフランス軍人宅から投げ込まれても全く関心を示さなかった理由は、親子にはユダヤ人という引け目があった証拠といえるのではないだろうか。

殺された娘に同情し一度は辞めた屋敷に舞い戻り、一人犯人捜しに奔走するセレスティーヌではあるが、薄々ランレール親子がユダヤ人だと気づいている隣家の元軍人と結婚、反ユダヤ主義でバリバリ右翼の下男ジョセフは少女殺しの容疑もうやむやのまま釈放、別の女と所帯を持ち反ユダヤのデモ行進にシュプレヒコールを送るのである。そんな移り気なフランスの国民性を、ブニュエル当人はどう思っていたのだろうか。天の神様と同様ゴロゴロと怒り露だったのか、それとも...どっちもどっちみたいな感じで結構醒めた目で見つめていたのかもしれない。