レインウォッチャー

ジャンヌ・ダルクのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ジャンヌ・ダルク(1999年製作の映画)
3.5
あの愉快で奇怪な『フィフス・エレメント』から僅か2年後、L・ベッソンさんが驚くほどマジメに(失礼)正面から祖国史と向き合った大作。

いやあ、てっきりわたくし、聖女ジャンヌ・ダルクにニキータやマチルダやリールーといった理想ヒロインの源泉を見出して、ボブカットの母性・野性両立ガールとしてトンデモ中世を描くんじゃあないか?とか心配(と書いて期待と読む)してたんだけれど、どうやらそんなことはなかったぜ。有名な逸話を消化しつつ、火刑に処されるまでの流れを順当に追っていく。

今作のジャンヌ(M・ジョヴォヴィッチ)は、英雄である以上にこころを壊した狂信者として描かれている。彼女を突き動かしたのは信仰なのか、家族を英軍に蹂躙された復讐心なのか。本当に神の啓示を見たのか、トラウマを覆い隠すために作り出した幻想だったのか。
それ自体はジャンヌ・ダルクという人物について語る際のトピックとして決して目新しいものではないと思うのだけれど、ジャンヌが陥った(であろう)信仰と妄執が混然一体の境地を真摯かつクリエイティブに映像化することで、「史実がどうだったか」とかの不毛で無用な議論を越えた普遍的な作品になっている。

彼女が繰り返し体験するヴィジョンや、神(あるいは悪魔?)との対話の場面は、彼女の深い心の傷を示唆しながらも、「なぜ神が戦争を見過ごすのか?」というベーシックな問いに立ち返り、やがては「宗教と人の営みの関係」へと射程を伸ばし、現代までしっかり届く。宗教、あるいはもっと広く虚構(フィクション)とは、理不尽な世を生きる人間にとっての緊急避難経路(※1)として機能すると同時に、人生をまるごと縛る呪いでもあるということ。

今作のジャンヌは、聖化された悲劇のアイコンではなくそんな板挟みの「在り得たかもしれない」エクストリーム事例としてここにいる。
彼女が徐々に幻想に蝕まれ、戦場という異常な環境によって熱に浮かされたように闇が加速していく様子は、『ローズマリーの赤ちゃん』型の「だんだんおかしくなっていくホラー」の側面から観ることもできるだろう。

ちょうど近年、同じく物議系聖人をネタにしたP・ヴァーホーヴェンの大傑作『ベネデッタ』が記憶に新しい。
2人の置かれた状況にはごく近いところもある一方で、両作品の方向性は真逆といえるほど異なる。エネルギーが外へ向いたベネデッタ、ひたすら内向きで孤独を深めるジャンヌ。彼女たちの姿は、そのまま上記の宗教がもつ両極を現すものといえるかもしれない。

Oh、That's a 歴史大作ゥ~、って感じに気合とお金が注がれた中世描写は見どころの一つ。
凄惨な戦場シーンはさながら中世版『プライベート・ライアン』と呼びたくなるし、異端審問から火刑に至る場面(※2)もクライマックスに近づくにつれて精神・物理両方の苛烈さを増していく。あと、英軍の連中がどいつも歯がグチャグチャなのはリアリティなのか恨みなのか。

惜しいのは、160分もある割にジャンヌが辿る栄枯盛衰の推移が分かりづらく、それがために時折感情が置いてけぼりになることだ。言い換えれば、ジャンヌが発揮していたカリスマ性の説得力を感じさせる描き込みが薄い。

若干、民衆から支持されていた様子が垣間見えたりはするのだけれど、彼女の周囲にいるキャラクターが全くといって良いほど生きていない(※3)ため、ジャンヌはずっと「一人でおかしい人」に見えるのだ。
もしかするとこれは意図的であり、あくまでもジャンヌ「から見えた」光景を描こうとしていて、上に書いたようなこの作品がもつスタンス、ジャンヌ観のあらわれなのかもしれないけれど、結果的には偏った印象を残して後味は良くない。

とはいえ、総合的には見応えのある作品だったと思う。お金がかかり過ぎていて赤字ではあったようだし、今作の打ち出したジャンヌ観に当時の本国の人々(ジャンヌ・ダルクの人気は根強いとききます)はどう反応したのかも気になるところだけれど…作られてから25年、今ならまた新鮮な目で観ることのできる(※4)映画ではないだろうか。

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※1:序盤、少女期のジャンヌと村の教会の神父との会話から、教会って要するにカウンセリングルームの役割を果たしていたんだな、ってことに気付く。

※2:ジャンヌ・ダルクの異端審問といえば、C・T・ドライヤーのレガシー『裁かるゝジャンヌ』。今作では、独房で繰り広げられるある人物との問答シーンなどで顔のアップが多用されており、『裁ジャン』を彷彿とさせる。

※3:せっかくV・カッセル=青髭ジル・ド・レなんて良カードを切っておきながら!

※4:今作のジャンヌを観ていて、想起した人物が一人いる。2018年の国連気候変動会議で演説を行った、グレタ・トゥーンベリだ。わたしが彼女についてどう思うか…はここでは脇に置いておくとして、彼女がこの映画をどう観るかは興味がある。