序盤はフェイクドキュメンタリーと悪趣味なパロディ設定を盛り込んで、本作の核心部分に対して観客をミスリードしていく。
ヴィカスに異変が起こるくらいから、
段々と社会派なメッセージが増えていき、
序盤の観客の心理状態に対してメタ視点が加わる作りに。
観終わる頃には、「凡庸な悪」についての体験質を獲得できる様になっている。
つまり条件さえ整えば誰でもアイヒマンになる可能性があるということ。
個人的には職場や学校などは特に凡庸な悪に溢れていると思う。
組織の中で爪弾きにされている人をわざわざ救おうなんて思わない。
適当にノリに合わせて同調するだけ。
もしそこにカメラがあって後から自分の事を見たらきっと自分の事が嫌いになるだろう。
この映画はハッキリと人間中心主義の非人間性。非人間中心主義の人間性を描いている。
と言うような偉そうな事を言っても現代は自分が批判する対象の存在なしでは生きられないウロボロスの蛇の様な構造になっている。
安易な正義感で断罪しようとしてもどこかでその刃は自分に向かう。
クーラーの効いた快適な部屋で環境問題を議論する様な営みは自己批判として機能する事を理解しているのか、いないのかは天と地の差ほど大きい。