くりふ

ゴジラのくりふのレビュー・感想・評価

ゴジラ(1954年製作の映画)
4.0
【伊福部昭音楽祭…打ち震えてきました。】

(当時)昨年の「名作シネマとオーケストラ」での『サイコ』上映+演奏が素晴らしかったので味を占め、このデジタルリマスター版の上映+東京フィル生演奏も(http://ifukube-fes.com/?p=213)、迷わず行ってきました。

泣いて震えて、得るものが多くて全部書きたいですが(笑)、取り急ぎはじめの所感を記します。

改めてキチンとみた本作ですが、決して巧い映画ではないですね。今みれば特撮は稚拙だし、はじめゴジラを出し惜しみする演出をしているのに、さほどサスペンスが盛り上がるわけでもなく単調です。

主演第一作の宝田明さんも、相手役河内桃子さんも、演技が棒読み風。ゴジラが初めて青空の下、頭をひょこんと出すショットなんて、苦笑してしまいました。

ところが、ゴジラの被害が広がるにつれ…いつの間にか、恐ろしくなってくるのです。

わけは幾つかありますが、一番はゴジラがなぜ日本に来るのかわからないこと。そして…目に表情がない(笑)。ノシノシ歩く様も強靭というよりどこか病的。巨体をうまくコントロールできていない感じを受けますね。

そんなゴジラですから、登場人物のリアクションがバラバラなんですよね。これがハリウッドなら一致団結し反撃するところでしょうが、本作の人物たちは、ゴジラを恐れつつ、どこか魅入られているようにも見えてきます。そこがこわく、面白い。畏れと憧れのアンビバレンツ。

「ゴジラは我らに未だ覆い被さる水爆そのものではありませんか!」
「その水爆の放射能を受けても生きる生命の秘密をなぜ解こうとしない!」

これなどは改めて、象徴的なやりとりだと思います。もちろんここには、東京大空襲と原爆後の9年を生きた、日本人のジレンマが色濃く反映されていることは、戦後生まれの私でも痛いほどわかりますが。

ゴジラは得体が知れない。そこが魅力です。ゴジラが何のメタファーなのかは、私などが言わずとも散々語られていますが、それらを全て引き受け呑み込んでしまうような、器の巨大さがありますよね。ゴジラ伝説が永遠に思えるのはまず、この器力があるからだと思います。

例えば擬人化され、目的も明快なキャラだった『キング・コング』(1933)などと比べると、その魅力の違いがよくわかりますね。

人物で面白かったのは恵美子さん。彼女の葛藤はわかるし、あの「裏切り」は強くないとできないことでしょう。次は、人生半分闇を背負ってしまった芹沢が、やっぱり切ない。ある論評で知りましたが、最終決戦時、尾形が鉢巻を漁師風にするのに対し、芹沢のそれが特攻隊風であることが指摘されていてなるほど、と思いました。

演技で感心する点はあまりなかったのですが、ゴジラを前に、主要人物がなすすべもなく立ち尽くしている図が一番よかったです。皮肉ではなく、そこが一番象徴的でした。実際あれが起きたら、誰でもああなっちゃうでしょう。

演出が単調などと乱暴に書きましたが、その中でも、ある秘密を知った恵美子が帰宅しての葛藤を、当時の日本家屋特有の構造を利用して奥行で見せたことは巧いなあ、と感心しました。

その他…挙げるとキリないのでこの辺にしておきます。とにかく、本作最大の功績は、ゴジラという器を、様々な想いを投げ込める巨大な器を生み出したことだと改めて、思いました。

と、伊福部昭音楽祭について少々。(当時)今回で4回目なのですね…。

東京オペラシティのコンサートホール、2階部分に設置されたスクリーンでは、黒の諧調が均されてしまい、デジタルリマスターの威力が発揮できたとは思えなかった。

でもねえ、途中でそんなこと気にならぬほどのめり込んじゃいましたよ。映画の力と、なにせ音楽が東京フィルの生演奏ですから!

あのテーマ、あのゴジラと防衛隊のあの旋律が!めっちゃ美味しかったです。…実は、音楽の入れ方はそう巧くないことも気づいてはしまいましたが。

女性コーラスが二箇所入りますが、スクリーン両側下に歌手の皆さん立ちまして、その内容からしてスクリーンが祭壇のように映りました。祈りと鎮魂ですからね。これは狙ったのだろうと思いますが、実に効果的でしたよ。

一番のサプライズは、上映前の宝田明さん登場!私はマニアではないので、知らない貴重な話連発で、ご馳走様でした。

撮影初日、主演させて頂く宝田です!と挨拶したら、ベテランの照明さんにバカ、主演はゴジラだよ、と怒られた話とか。楽しかったです。

上映後に、アンコールであのテーマが再演され、割れんばかりの拍手に包まれました。う~ん、足りないぞ。同じ機会あったらもう一度行きたい!(笑)…では、キリがないので、とりあえずこのへんで。

<2014.7.15記>
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