菩薩

コミック雑誌なんかいらない!の菩薩のレビュー・感想・評価

3.9
まずは映画本編を観る前にYouTubeで「豊田商事会長刺殺事件」の動画を観ておいた方がいい。実際のニュース映像の不鮮明な音声&映像はクリアになり、ビートたけしによる完コピ再現VTRはそれだけでもこの映画に存在価値を与える。それで考えるべきはこの事件が実際にテレビカメラの前で起き、そしてその場にいた人間が誰一人止めに入らなかったのは何故かと言う事である。同じくテレビカメラの前で殺人が起きた例と言えば、オウム真理教の幹部村井秀夫の刺殺事件がある。豊田商事会長刺殺事件と村井秀夫刺殺事件とは明らかに突発性と言う意味で異なるものがあるが、この二つの事件の発生直後のマスコミの第一声を聞き比べてみるのも面白い。マイク一本、と言えばかの日本語ラップの先駆者であるいとうせいこう氏の代表曲でもあるが、内田裕也演じるキナメリも、己のマイク一本でズケズケと他人のプライバシーを踏みにじり、事件の現場に踏み込んで行く。時にはトラブルを起こし、脅迫を受け続け、遂には現場を干され、トゥナイトよろしくお色気体験リポーターへと身をやつす(見てたなぁ…木曜日のトゥナイト2…)。他人のプライバシーを踏みにじり、他人の不幸を飯のタネにし、そうして生きて来たはずの男が、何故最後はあの様な行動を取ったのか、それは彼が一人の「人間」であったと言うだけの話であろう。マスコミの役割とは何か、報道とは、ジャーナリズムとは何か、裁きは誰が下すべきなのか、あの事件から30年以上経った今、マスコミの姿はどう変わったのか。裁きを下すべきはマスコミではない、マスコミに煽られた国民でもない、いつまでも全体主義気質と私刑癖が抜けぬ我々日本国民に対し、内田裕也は「I can't speak fucking Japanese.」と中指を立てる。報道か人命か、かの「ハゲワシと少女」を撮影したケビン・カーター氏もその後非業の死を遂げた。マスコミに対する厳しい目は昨今更に強まっていると思うが、そんなマスコミを助長させるのは何より他人の不幸やスキャンダルを覗き見したいとの悪意である事を忘れてはいけない。
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