ちょげみ

紅の豚のちょげみのレビュー・感想・評価

紅の豚(1992年製作の映画)
4.5
「カッコイイとは、こういうことさ。」

あらすじ
世界恐慌が世を震撼させる1920代末のイタリアにて、真っ赤な飛行艇を乗り回す賞金稼ぎのポルコ。彼は呪いを受けてなぜか豚の姿になってしまった。空賊達から疎まれ、嫌われているポルコは、彼らの助っ人としてやっきた凄腕のパイロットであるカーチスによって襲撃され、飛行艇の故障のせいではあるが、不本意ながら敗北を喫してしまう。馴染みの修理屋であるじいさんの元を訪れ修理を依頼し、その孫娘であるフィオとともに再びカーチスと相見える。


 紅の豚では戦闘シーンで大迫力の空中戦を描きながらコメディ要素もふんだんに盛り込んでいる。酒場でもマドンナのジーナを巡る和気藹々なムードが流れている全体的に明るい作品なのだが、その明るさの向こうにどこか哀愁だったり物哀しさが感じられる。
 空賊達やパイロット達は今の生活を謳歌しているように見えるけども、彼らは今後空の飛行規制も厳しくなり自分たちの行動範囲も狭まっていきそしてやがて立ち行かなくなることを知っている。だからどこか楽しげでありながらもその裏には寂しさや愛惜の念、寂寥感が常時漂っている。

その‘"突き抜けた青空のような爽快さと、終わりが来ることが予期できる人間だからこそ感じる物哀しい感情の二面性"、換言すれば根底に流れている"ビタースイート感"がこの作品に深みと厚みを与えていると思う。


この作品には大きな特徴があって、それは飛行艇をメインに据えた作品でありながら飛行艇が一番映える戦争での出来事を描くのではなく、戦後(第一次世界大戦後)を描いているということだ。
さらにポルコは戦争で活躍しながら自ら(?)豚に変身し何者にも縛られない生活をしているし、ジーナは夫を亡くし昔の友人も亡くした未亡人として描かれている。
つまり本作は語られるべき物語(戦中)を描かずある意味後日談を描いていると言える。

これは多分宮崎駿自身(中年男)を励ます映画として作られたのではないだろうか。
彼は労働組合運動に積極的に参加した。熱い闘志をたぎらせていた若き時代は終わりを告げ、人生の後半期に差し掛かってくる。
そんな戦うべき時に戦い疲弊した全国の中年男、そして宮崎駿自身を鼓舞するものとしてこの作品は誕生したのではないか、と改めて見返してみると感じる。
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