LEONkei

乾いた花のLEONkeiのレビュー・感想・評価

乾いた花(1964年製作の映画)
3.8
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花、空々漠々の乾いた花は二度と甦らないのか…。

萩に猪、紅葉に鹿、牡丹に蝶、猪鹿蝶の影さえ踏めず一身を死神に託し地獄絵図を凝視する。

望むものを模索しても望むものが見つからない絶望と、望むと言うことを捨てても生きなければならない無情。

人間が生きている意味を考え始めたら生きていることが嫌になってしまう、それが臆病なのか怖がりなのか生きることに意味がないことを知る虚しさ。

灰色の都会を俯瞰し眺めれば仏頂面で家と会社の往復だけの淡々とした日常、遣うのは容易く稼ぐのに辛いただ休日だけを待つ人生に意味はあるのか。


瞳を潤ませ流す涙は誰もが同じ透明な液体だとしも、それすら流れない乾涸びた乾いた花に水を与えるものとは…。

日常の中にある非日常の世界に縋り委ねるしか一輪の花は蘇生できるのか否か。

求めるものや望むべきものを模索しても満たされない、冴子の黒い大きな瞳は既に死んでいる。



東映ヤクザ映画も好物だが激しく荒々しい感情を内面に忍ばせる忍気呑声な描写は、人間心理に重点を置き別次元な現代社会の闇部分を描いた人間ドラマ。

口調や仕草など東野英治郎と宮口精二の掛け合いは滑稽だが、それが人間の醜さであり本性でも有り他の役者も面構えがいい。



閉鎖性を打破し反権威主義や反商業映画など前衛的独自作品を創出した〈松竹ヌーヴェルヴァーグ〉、その旗手でもあり映画会社に囚われない篠田正浩(後に方向転換してしまったが)の味が映像に色濃く表現された作品のひとつ。

配給だけは松竹でも製作は独立プロなので柵のない自由度は高く原作者にも絶賛される..★,
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