そうなんだよな。
確かにこの時代、J.C.ブリアリの様にセクシーとされる男性は総じてけむくじゃらだった。
胸毛もそうだ。
およそ男性ホルモンのなせる技が尊ばれ、今日の様に自然の摂理に逆らって、脱毛が是とされる様になったのはいつからだろう?
女性に受け入れられる為、男性性の否定を自然に受け入れ、中性的にならざるを得ないでいる今日の男性の美意識は、果たして正しいのだろうか?
ひょっとして美容外科医療界の陰謀だろうか?
婚約者のいる外交官のジェロームという全てにおいて充足している自信家が、保護者の許しという免罪符を得て別荘地で歳若く、御し易そうな少女達と結婚前の恋愛遊びに興じる話。
彼氏のいる魅力的な少女の膝に抗い難い誘惑に取り憑かれ、それに触る為、血道を上げる。
6年の付き合いでストレスを感じないから結婚するというロジックは、結婚に刺激ではなく安定を求めるからだが、新しいスタートとしては新鮮味に欠ける。
だから火遊びに興じたのだろうが、少女達と大人のジェロームの会話と向き合い方はフランス流に欲望に忠実で、ジルを貶めてまで近づく浅ましさも含め、高低差が無く距離が近い。
日本風に言えば節度が足りないと言えそうだが、少女を金で買うよりずっと倫理的とも思える。
オーロラにクレールの膝を触った顛末を、まるで神聖な任務を成し遂げた様に語るシーンは、おフランス人だなぁと感じずにはいられない。