さといも

遊びの時間は終らないのさといものネタバレレビュー・内容・結末

遊びの時間は終らない(1991年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

銀行で強盗が発生し、犯人の一人が逮捕されるも拍手が起こりみんな笑顔、実はリアリティを意識した「筋書きのない」訓練だった。まもなく、銀行でも犯人役が捕まるだろうとされていたが、様子がおかしい。
犯人役の平田は融通が利かず真面目なため、警察官を返り討ちにし銀行に立てこもってしまう。マスコミの報道により次第に面白がる住民や県警本部まで飛び火し事態はおかしくなっていった。

1991年の古い邦画、コメディ調の作品ではあったが「融通が利かず真面目」であっただけの平田が世間から注目を浴びる中で次第ににやりと笑うようになり、彼の中で「筋書きのない訓練」から徐々に離れていくのをうっすらとだが感じてしまった。
印象的だったのが、エリート警察官が暴言を吐きそれを受けて警察庁が謝罪会見をするシーン。1991年はネットも普及しておらずこの時代には言葉すらなかったが、それでも「炎上」してしまったこと。

真面目なだけの「訓練」から次第におかしくなり、本当に発砲してしまう狙撃手、新聞紙を「金だ」と叫び群がる群集。「最後まで行こう!」と盛り上がる犯人と人質たち、彼らを冷めた目で見ていたヘリのパイロットだけはこの茶番劇の外にいたのに巻き込まれたのだろう。

誰かが「おしまい」を言えば終わったことがそれを言えずに取返しがつかなくなってしまう話に思えた。そして、それは今もどこかで自分の身の回りにもあるのだろう。その時に自分はどの立場にいられるのかな…?と少し不安になった。
そんなときは「お腹痛いんで帰ります」で帰れるようにしておきたい。

決して作品そのものを問題視するわけでなく、個人的に気になってしまった点としては、作中で犯人役に抵抗した女性行員が婦女暴行を「されたという体」で張り紙を貼られるシーン。
犯人役の平田は今までの銀行強盗立てこもり事件などの実例を調べており、役を忠実に演じるためその行為に出たので演出上不自然さはないが、周りの人々がドン引きはしつつも若い行員に関してはちょっとクスクスしているなどの描写が気になった。少し軽く扱われてしまっているように感じてしまった。
ただ、個人的に気になっただけで、作品自体は作られた時代の標準的な価値観で作成されており特に問題視するつもりはない。

総じて面白い作品だったと思いました。
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