こーひーシュガー

時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!のこーひーシュガーのネタバレレビュー・内容・結末

3.2

このレビューはネタバレを含みます

【有限性を持つ我々にとって「時」とは何か―――『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』】

時は短い。
我々は時の創造者であり、犠牲者であり、破壊者でもある。

なるほど、詩的な脚本だ。
さすが映像詩人・ヴィム・ヴェンダース。
天使をやめ、人間になると当然死ぬ。
それでも守らなければならないものがあると天使は人間になることを選ぶ。
あなたならどうだろう。
自分が天使で永遠の命を持っているとき、どうしても人間にならなければならない理由があったら人間になるか。
元天使は必ずしも綺麗な人間になるとは限らない。邪道を選ぶ者もいる。
命に限りがあるならば、邪道は避けて通るべきだが、死が近づくと、生を実感できる(いや、別に「生きるために死を身近に感じる危ないことをしなさい」と言いたいわけではない)。
要するに有限性を受け入れることで、自分が自分でいられるということである。
有限ではなく無限の命だとそれを真の意味で理解することはできない。
時は短い。
言い換えると"命"は短い。
時は短いくせに待ってはくれない。
時間が遅く流れてくれれば生を堪能することができる。
精神的苦痛を味わっているとき、時間の流れは遅く感じる。
いわゆる体感時間というやつだ。
つまり、人は何かを乗り越えようとしているときが一番幸せなのだ。
だから少しでも時をつなぎとめてくれる"感覚"が不可欠であり、それは人間だけに与えられた特権なのかもしれない。

『ベルリン・天使の詩』の続編ということで観たが、断然、前作のほうが好き。
今作は人間パートが多く、裏社会も描かれるため、より人間臭く、だからこそリアリティが生まれるのだが、前作のような神秘的な雰囲気が好きなので…