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あばずれ女のokimeeのレビュー・感想・評価

あばずれ女(1979年製作の映画)
4.0
先週に引き続き、映画批評家・大寺眞輔さんの講義つき(字幕付けた方)

17歳のフランソワに誘拐された11歳の少女・マドレーヌ。
屋根裏部屋で静かに、だけど会話多く過ごし、母のように、恋人のように振る舞う。強いマド。(すごいタイトル「あばずれ女」)

「パパって呼ぶわ」「嬉しいよ。」
「ゆっくり寝てね」

奇妙で笑える。

最後のシーン最後のカット、長めのフリーズ、「死んだみたい」のセリフ。
自分たちで再現しているのに「違うだろ。こうだろ。」とやり直しさせられる。
自白の強要(冤罪)と同じじゃん。(冤罪ちゃうけど)

マドの着ているトップスが段々と薄汚れていく。
「髭を剃るのは19歳からよ」

みんなリトルホンダPC50みたいな自転車バイク(正式名称知らん)乗ってて可愛い。
16mmフィルム

----以下、トークより----
・カメラが素晴らしく美しい。基本的には自然光
・なきしずむ女と同じく、マドレーヌも本名。彼女自身のあだ名もマド。
・小学6年生。撮影隊に見つけられてキャスティングされた。
・女医になるために勉強を頑張っていたが、映画制作から4年後(15歳)に、白血病の誤診があって亡くなった。「わたしは死んだみたい」のセリフが....!
・「ピエールリヴィエールの犯罪」という本がある。「私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺した」という映画もある。この映画に主演したのが、フランソワ役のクロード・エベール。そのまま引用してきた形でフランソワを演じている、とも言える(双方精神疾患(知的障害)あり。閉鎖的なノルマンディーの田舎。ピエールリヴィエールの犯罪があった土地で現地の農民たちをキャスティングした。そのときに彼もキャスティングされた。元々農民。)のち、行方不明となっていたが、ハイチで宣教師をしていたそうだ。
・あばずれ女も実話にインスパイアされたもの。同じくノルマンディーの田舎。
・監督のインタビューから「ある新聞記事を読んだが詳細が分からず、興味をひいた。(「少女が誘拐された。彼は懲役4年になった。」)実際に現地に行って少年少女に会った。しかし壁(自己正当化したり、嘘があったり、わからない真実があった)があった。この壁のために実際に何があったら知るために調査した事によって映画の熱意が湧いた。」
・あくまでもフィクション。
・実際に事件が起きた土地で撮影しており、その地方に住んでいる人たちをキャスティング。訛りがすごいらしい。
・本当に何があったのか、ということを調べずに、よく知っている形(レッテル)に当てはめて報道する
・小さなコミュニティでのマイノリティの置かれた状況
・地獄の黙示録やブリキの太鼓と競ったくらい。予算は全然違う。(本作は5人くらいのスタッフで16mmで低予算)
・当時の新聞も「誘拐である。知的障害のある少年が少女を誘拐して監禁した」と報じたが、少女もマージナルだった。少女ももしかするとこれをチャンスとしたかもしれない。
犯罪は常に犯人の方がメインとなるが、彼女の主体性(強さ)にポイントを置いて描いている。
(映画のなかでは最初は少女のヒッチハイクだったし)彼女は弱い立場ではなく彼女自身が選択した、ともいえる。
・ストーリーだとゲスくなってしまうが、この映画では段々と関係が変わっていく「ごっこ(関係をやめないためにボスを信じたり)」「遊戯」みたいな感じがあり、ある種の軽やかさがあら。また2人のイノセントが汚らしさを感じさせない。見事なバランス。
・嘘に嘘を重ねて、わからなくなってくる。(本作は「ボス」)
・二人の会話の繋がり方はロジックではなく感情的なつながり。リアルな部分とフィクションの見事なバランス。
・顔(の演技)を中心とした撮り方(ベルイマンの系譜らしい)も特徴。
ブレッソンやカールドライヤーを尊敬していて、そのような映画を撮ろうとした。(出来事や人を即物的に撮る)
・観客に飛びかかるようなものにしたい。(観客がぼけっと他のことを考えるような映画にはしたくない)ナチュラリズムは好みではない(普通の人が普通の話をしている映画は好きじゃない)。映画は熱に浮かされたような場所であり、終局まで雪崩込む ようなものである。
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