あきら

タクシードライバーのあきらのレビュー・感想・評価

タクシードライバー(1976年製作の映画)
4.2
言わずと知れた超有名作品。
『ジョーカー』が盛大に盛り上がった後に、再見しました。

このポスター、ほんとにいろんなとこで見たな~~~
このモヒカンのトラヴィスってファッション含め、かっこよさとダサさのバランスみたいなとこで、アメリカン・ニューシネマのアイコンになりましたね。

元々死んだ目をして、人としてどっかズレてた男。
ベトナム帰還兵に関しては、他にもいろんな作品で描かれているので割愛しますけど、あのような地獄を経験してしまうと、やっぱりどこか根本的に壊れてしまうのかもしれない。

どっかズレてたってのも、元々のこの人の個性だったのか、ゲリラ戦を経験してのことなのか、もしくはどっちもなのか。
本当のとこはわからないけど、微妙なコミュニケーション不全が歯痒くて気持ち悪くて、悲しい。

気になる女性ができてもズレに気づいてないまんまで、このあたりは共感性羞恥持ちにはなんかもう見てられなくて、ひたすらツライんですよ。

ベツィに突き返される花はグラジオラスですね。
シュッとしてかっこいいんですが、けっこうデカくて目立つ花なの。そういう空気の読めなさ加減。
そして突き返されちゃうの。
萎れた花の部屋で筋トレするトラヴィスがもうもう痛々しくて、胃がキリキリします。

けれど元々死んだ目をしてた男の瞳が、「ソレ」を見据えてから爛々と輝いて、凡庸だったはずの男が変な道具つくってみたりの独創性を見せ始める。
このあたりの狂気がすごいよデニーロ!!!

そして決行の日。
燃えるドライフラワー。
男の裡なる炎の表現がえぐい。

煩わしい心すらいつか灰になるのなら
その花びらを瓶に詰め込んで火を放て
ってやつですよ。

それにしても、クライマックスのあのシーンだけが焼き付いてて、無敵の人の無差別殺人という印象が強く残ってたんですが、全然義憤でしたね。
誰でもよかったんじゃなく対象は明確で、義憤という名の私怨だった。

自分を撃つパフォーマンス。
ジョーカーかと思いきや、あれはどっちかっていうとバットマンだな。

それにしてもジョディ・フォスターの存在感すごいね。この時まだ12歳でしたっけ?
彼女が漂わせる大人びた空気がそうならざるを得なかった背景を纏ってて、ここがどういう街でどういう社会なのかを否応なく想像させられますし。

けれどもその中で、まだまだ生きてゆく。
一線も二線も越えてしまったトラヴィスはやっぱり壊れているのかもしれないけど、それでもこの街で生きている。
諦念ではなく、意志でそうあることを選んだ彼の瞳が、以前とは違うものになってるラストシーンが、実はこの映画のいちばん好きなとこです。
あきら

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