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君の名は 第一部のニューランドのレビュー・感想・評価

君の名は 第一部(1953年製作の映画)
2.9
 元々関心外の作品なので、過去一応3部とも観てるといっても、何年も間を置いてバラバラに違う劇場でたまたま拾ってる程度で、2部以降に出たかアイヌ娘の北原三枝が印象に残ってるくらいで、スカッスカッの創り方が、同じ頃公開の『七人の侍』を大きく上回る大衆人気を得たのか、『タイタニック』(サイレント映画の傑作でない·20C末の方)等と同じで、位の認識。まぁ、菊田の筆によるNHKラジオドラマの神通力の延長かも。佐藤忠男さんが、年間最優秀作を争った『帰郷』より、日本映画代表作○○本にこちらの方を(大庭作品中から)選んでた事を思い起こし、再見することに。
 こんなにローキーのソフトトーンだっけと思いながら観ていたが、組立てはシーン導入·内の関係の緊張·ドラマへの積上げをまるで欠いて、花ナメや丸ごと表情CUのしっとり甘さをかなりのウエイトで重ねてく、角度やサイズの緊密な繋ぎのキツさは少ない、縦横のカメラ動きや自然他への仰俯瞰も標準内、語りの主体も自由に移り、音楽·主題歌他もダメ押し内。当時は実験放送レベルだったテレビドラマとか、平板で代わり映えのしない舞台上演を思わす、スタイルとも云えない語り口である。登場人物らも、慎みなく心情を他人と共有し、日本各地自由に行き来する割には詰めの決断翻し、品性弱いもオープンな大衆性があるのかな、というところ。しかし、ミニチュア·爆破·合成の冒頭数寄屋橋空襲シーンは見事! 東宝·大映にそんなに劣らずというところ。
 しかし、作品のレベルを離れた一方で、変わらぬ日本人の、誇りから程遠い原型がベッタリと描かれてる。女性たちは正直も、弱者の歴史から解放されておらず、目に見えない怖れを抱きつつ生きてて、その迷いが男を惑わす。この後、意識は進化してゆくのだろうが、変わらず今も何の進歩なく、留まった侭は男たちの姿である気がする。純情や事なかれ主義を疑わず、とりわけヒロインの夫の像は、今も変わらぬ、男の嫉妬は女のそれを遥かに越えて、メメしく醜いをよく出してる。社交性と社会的地位ある、周囲に尊敬·評価されてる人間の裏側は、権威·ヒエラルキーに忠実で依存し、自身のアイデンティティより·そこにプライドを置き誇り·一体化している。主体はない分自覚なく·如何様にも変わり、その体系を自己と勘違い·同一視している。そこでの繋がり·寄りかかりを傷つけられるのが、本質以上の侮辱を感じ·憤り、相手の立場を考えず、決定的に深く討ち返す、それに留まらない。自分より下位と社会的に決め付けた者に対しては、その序列は不動·利用優越感を味わい尽くし、敬意を抱く·評価を動かす事は微塵も考えず、先に述べたようにそこからの自分も含めた上位への揺さぶりは有無を言わさず潰す。上位者に対しては自らがその一部と思いこんでるので、決して他者としての反撃も思いつかず·歪みや見下しを甘んじる。それらを見本·極めて興味引く見物として具体を教えてくれるだけでも、価値ある作品であるのかもしれない。
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