レインウォッチャー

イン・ザ・スープのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

イン・ザ・スープ(1992年製作の映画)
4.0
まことに僭越ながら、ひとつ好きな女性のタイプを挙げるとすれば「スティーブ・ブシェミをキュートと言ってくれる人」であろう。

いや別に本心ではティモシー・シャラメや吉沢亮が一位でまったく構わないのだけれど(むしろ一位がブシェミだとそれはそれで心配である)、とりあえず「なんか彼ってカワイイよね」って笑ってくれるだけでわたしのATフィールドは三枚剥がれ落ちる。

ここまでなんだかブシェミに相当失礼なことを書いている気もしてきたけれど、まあいいや。とにかく『IN THE SOUP』だ。そんなATフィールドの番人・ブシェミの貴重な主演作である。

ブシェミが色々な映画で演じるキャラクターが共通して発散するキュートさの成分をわたしなりに言語化するならば、「地上から数ミリだけ浮いている感じ」だ。特に、彼が今作で演じる主人公アルドルフォからはそのバイブスをごくピュアな形で受け取ることができる。

NYで映画の脚本家を夢見ながら清貧生活を送る彼が、資金援助を申し出る初老紳士ジョー(S・カッセル)と出会う話。ジョーは人たらし的な魅力がある人物なのだけれど、映画作りの資金調達と称して数々のアヤシイ《仕事》をアルドルフォに手伝わせる。

アルドルフォは、殊更に愚かでもなければ鈍くもない。一方で、突き抜けた天才・秀才でもない(※1)。ただ、現実の世界でそつなく生き抜くにはほんの少し純粋すぎる男なのだと思う。
この「ほんの少し」のズレ、ブシェミらしい地上から飛び立てないくらいの浮遊感が、ジョーとの関係(※2)にも絶妙にハマる。アルドルフォはジョーを信じ切っているわけではないけれど、ずるずると関係を引き延ばしてしまう。思うに、彼はずっと道の途上でいたかったのではないだろうか。

映画の完成は、自らの才能の天井を知るにも繋がり兼ねない。創作者にとって、作ってる間・作ろうとしている間が最も楽しくて幸福なのだ。
それを象徴するように、ジョーや隣人でヒロイン(にアルドルフォが勝手に決めた)のアンジェリカ(※3)と過ごす時間はこの上なくドリーミーだ。つまり、「いつ終わるかもしれない」と誰もが薄々気付いている時間。皮肉なことに、それは映画を観ることそのものの体験ともごく近く、だからこそ今作は愛おしい。

アルドルフォは、ジョーの胡散臭さやアンジェリカの暮らしの現実を何度も垣間見ながらも、「完璧な映画ができさえすれば、きっと全部なんとかなる」と自らに言い聞かせて見過ごす。その状態はまさにIN THE SOUP=ドツボに嵌っていく様といえるだろう。
しかし、映画には幻想と現実の両方が必要であり、その両面を受け持つような2人、アルドルフォとジョーの腐れ縁な蜜月はどこまでも「映画」らしく、紛れもなく魔法があった。

今作のラストでは、本編を回想するようなカットが挟まれる。そこで振り返るいくつかのシーンは、まさに観ているわたしも思い出したかった幸せなシーンたち。
ジョーの言葉は真実か、嘘か。ほんとうのことはわからないし、どんな映画もいつか終わり、記憶の中にしか残らない。でも、この瞬間瞬間は確かに「あった」のだ…このビター&スウィートな後味が、微熱をもってずっと胸に残り続ける。

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※1:小金が入ればピザ食べちゃう感じ、部屋にタルコフスキー(『ストーカー』)のポスター貼ってある感じ、とかとか。

※2:劇中でアルドルフォの母親は登場するものの、父親は所在不明だ。ジョーは、アルドルフォの才能を認めて誉めそやす。それがテクニックの一種だったとしても、アルドルフォにとっては疑似的な父親のように見えたかもしれない。依存度が高まるのも納得。

※3:演じるJ・ビールス、『フラッシュダンス』の!とは最後まで気付かなかった。いずれの作品でも導火線短めの女を演じているけれど、ご本人もそんな感じだったのでしょうか。