くりふ

ピアノ・レッスンのくりふのレビュー・感想・評価

ピアノ・レッスン(1993年製作の映画)
4.5
【浜辺のソウルジェム】

フィルム上映があったので貴重だ、とばかりに行ってきました。生涯ベストテンに入れたいほど好きな一本。じっくり堪能するのは何年ぶりだろう?

やっぱり想いが溢れてきましたが、整理する時間ないのでとりあえず書き散らしてみます。

6歳で言葉を失くしピアノで語るようになり、心そのものがピアノになってしまったような女エイダ。その後シングルマザーとなり要は、あの時代だし厄介払いされたのでしょうか?

コングが潜む髑髏島の如く深い、ニュージーランドの湿った森に渡ってきます…ピクチャーブライドで。時は1852年、迎える夫はアボリジニ狙いの地上げ屋(笑)。

しかしエイダが着いた途端、一番大切なピアノだけが家に運べず、浜辺に置き去られる…。エイダの筆語「あのピアノは私のものだ!」を「あのピアノは私だ!」と読みかえることでとてもわかり易くなり、どこまでも染み込む映画だと改めて思いました。

冒頭まずガツン。遠ざかる浜辺のピアノが棺桶に見えてくる。これ、結末への伏線でもありますが、荒波の傍に自分を置き去りにするエイダの気持ちはどんなだったろう?

それを理解しない夫アリスディアとの仲は冒頭既に決定的。彼は当時の男としては常識人なのでしょうが。変態はエイダの方(笑)。でも私は変態の方に共感します。でも映画もそう作られてるよなー。

夫の元で働くベインズが、たまたまエイダとピアノのつながりを感じ取る機会を得、ピアノを取り戻したいエイダとの間に、ある危険な関係が生まれる。…てかその前に、ピアノ=エイダなのだから、夫が妻を売っちゃうことでこれって始まるんだよね(笑)。

女にとっては屈辱的な「取引」をエイダが受け入れるのは、ピアノという自分の心を取り戻したく、比べればこの身体は付属物だしまあいっか…ということなのかと。ゴーストと義体の関係みたいな?

TV版『攻殻』の素子さんが、かつて感覚器官を切ってラブドールを演じたような腹積もりだったのかも。…でも、エイダの身体は義体じゃないですからね。

人間、肉欲って大切なんだなーって、本作をみていると思います、ホント、うんうん(笑)。

分離していたエイダの心と身体は図らずも、ベインズが仕掛けた「レッスン」でひとつになりはじめる。一見ポルノじゃね、という描写の裏に、もぞもぞと色んなものが潜んで見えますね。

結果的にレッスンされたのはエイダの側で、ベインズが導いてしまったわけだからそりゃ…こうなるでしょうね。とても柔らかく説得的です。この辺色々書きたいですが、この欄では止めておきます。

マイケル・ナイマンの音楽は冒頭から静かに炸裂していますが、作曲者本人はあまり気に入っていないそうですね。ミニマル反復が好きな人だからスイーツ過ぎるのでしょうか。でも、本作の音楽はエイダの台詞と心象だからわかりやすい方がいいです。

で、エイダ自身の演奏がBGMに変わるという大切な瞬間がやってきますね。本作のセックスシーンが素晴らしいのは、音楽が主で身体が従だったものが逆転することだと思います。

しかしエイダの台詞と心象というわりには、音楽のバリエーションってあまりないんですよね…そこは残念。と言いながら本作のサントラはもう20年近く、思い出したように何度も何度も、聴き続けております(笑)。

「青髭」と化しても繊細な(逆上しながら斧で一本だけ狙うテクが凄い)夫を演じたサム・ニール、男の恥ずかしさを素直に認めるベインズを演じた優しきハーヴェイ・カイテル、二人のきめ細かさの上を、泥の上の板を渡るようにどこまでも、エイダのホリー・ハンターは勝手に進んでいっそ清々しい(笑)。

自分がピアノか抜け殻か、わがまま自己中テスト、ラストに至ってもやっちゃってますねえ。船上のアレ、自分から足突っ込んでますよね?ベインズかわいそうにアウトオブ眼中(笑)。

…と、整理せず書き散らかしていたら、まとまらなくなってきました(笑)。他にも色々あるんですが。時間出来たら、ネタバレレスにでも、もう少しまともなものを書きたいなー、とは思います…。

<2013.12.24記>
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