parsifal3745

ピアノ・レッスンのparsifal3745のネタバレレビュー・内容・結末

ピアノ・レッスン(1993年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

 6歳の時に、自分でも説明できないが、声を出して話をしなくなったエイダ。前の夫は無くなり一人娘のフローラと一緒に、未開の地ニュージーランドへ嫁ぐ。荒れる海、ぬかるみの密林に「チャタレイ夫人の恋人」に似た雰囲気を感じた。半分現地人のようなべインズは、彼女のピアノと土地を交換して、ピアノのレッスンをしてくれるよう願い出る。
 流麗なピアノの調べを聴きながら、べインズが少しずつエイダに近づいて、触れて、匂いを嗅ぎ、服を脱がせていくのは、女性にとってエロチックな時間。エイダの言葉であるピアノをずっと聴いてくれて、見つめられ、少しずつ距離を縮めてくるべインズは、エイダのルールを尊重しながら、口説いてくる逞しい男性に見えたのではないか。逆に夫のスチュワートは、彼女の大事なもの、ルールを理解しようとしていない。エイダとスチュワートが結ばれるシーンを覗き見しているのも、エイダの性的能力を確認するかだけのようで、その後、無理やり関係を結ぼうとするのも、エイダを理解していない。娘のフローラも、周囲の人々の価値観に染まり、エイダのことを本当に理解していなかった。スチュワートが逆上して、エイダの右人差し指を切り落としたのには、「やっちゃった」感。エイダがスチュワートに触れていたのは、彼女の性が解放され、べインズを求める気持ちからの行動か。
 エイダを諦め、べインズと祖国イギリスに帰ることになったが、船上からピアノを捨てようと切り出したのは、ピアノがあることで、べインズ、娘、自分の命まで危険に晒すから。
彼女は、もう既に孤独ではない。愛する人がいる。今までの孤独な過去の自分に決別するために投げ捨てた。ピアノの縄が絡みついて、(一瞬、自殺かと思ったが)海中深く引きずり込まれるが、そこから靴を捨てて、這い上がったのには彼女の強い生きる意志を感じた。
 厳しい自然と、不便な時代に、不器用な、しかし、並外れた強い意志の女性。その女性が、自分のために骨を折って、愛してくれる男性と出会って、激しい愛が芽生える物語だった。
 監督は、女性と聞いて、女性の自立、女性と男性のもつ言葉の意味の違い、すれ違いを、言葉を発しない代わりにピアノを演奏する女性という設定で描いたようにも見えた。
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