あ

あるじのあのレビュー・感想・評価

あるじ(1925年製作の映画)
5.0
壁に向かうフレデリックがマッスに目配せすると、マッスが踏み台を前に出してヴィクトルを引っ掛けた時、足元も見えていない「あるじ」の姿が浮かび上がるところで、しっかりこの映画はフレデリック(=ドライヤー自身)が撮ったんだなと思わされました。

数本しか観てないため、勝手にドライヤーは顔芸の人かと思っていましたが、手元の細かな仕草までが非常に印象的でした。
娘から妻の徹夜の話を聞かされた時、バターを自分のパンからヴィクトルのパンに移す健気なイーダの手元と、ヴィクトルのパンからバターとハムを綺麗に奪い去るマッスの手元が思い起こされる時、何気ないパンの重みが変わるところが見事でした。
帰ってきたイーダがヴィクトルに抱きつく手元の寄りも非常に印象的です。

また、ヤカンを取る、洗濯物を畳む、グラスを磨くという何気ない家事をヴィクトルが休みなく追体験することで、妻の狭い様で最も広い世界の迫真を見ることができました。

ただし、イーダを見て「自分のことだ...」と思っている奥様方が多いようですが、そういう方々は自身の特に息子への扱いを顧みられた方がよろしいかと思います。そもそも本作も、狭角な自己憐憫が弱い立場の人間の世界を貶める物語であるわけですし、まあそもそもイーダほど清貧な方もそういないわけですしね。その考え方は、結局ヴィクトルと変わりはありません。

もちろんフェミニズム映画としても素晴らしいですが、より世の中が複雑化した今においては、誰もがなりうる「あるじ」という立場と主従関係の問題について、家庭だけではなく職場(撮影現場でもありえる)や学校などにおいても教訓とすべきだと思いました。
あ