実質的な深作欣二の「遺作」となる本作。
改めて観返してみると、実に「やりたい放題」な映画なのがよくわかる。
製作当時から「遺言」めいた形で言われていたことだが、深作監督の中に生涯纏わりついていた「戦争」と「暴力」、また戦中派の多くの映画監督と同質の「奪われた青春」への怒りと怨念に満ちている。
まずその監督という「作者」の想いが画面に満ち満ちているという点では本作は傑作。
「BR法」というあまりにも荒唐無稽な設定に「リアリティ」があるかと言えば、当時から微妙ではある。
一応の「社会派」的なテーマの割には、時代も世代も含めて「空疎」だった1990年代後半から2000年代初頭の空気を取り込んだ「時代の映画」である点は、偶発的だがその通り。
しかし、本作の凄みはそんな「リアリティ」という点にはない。
大仰な演技と、説明的なセリフ。映画というよりは演劇的なストーリーテリングで通常はゲンナリしそうな作劇を、とにかくテンポの速さ、躊躇のないバイオレンス、10代の青春を誇張したメロドラマの要素などを「熱量」のみで過剰にぶち込んだ映像世界に仕立て上げて揺さぶってくる。
その「揺さぶり」の根拠としての「映画表現」を一点突破的に描こうとするのも、深作監督の「巨匠」の手つきというもの。
つまり、映画の面白さは「現実に近づける」ことを指しているのではない。
あくまで「虚構」の世界が現実であったり、社会であったりをどう表現するかということ。
その点で本作の「フィクショナル」な設定や展開は道理が通っている。
謎の転校生、桐山(安藤政信)も、年齢的に「高校生」と言われても無理がある川田(山本太郎)も然り。
蜷川幸雄の世界から借りてきたような舞台演技を惜しげもなく披露する七原役の藤原竜也。
「青春」への羨望を一新で受けるような典子(前田亜希)。対してより戯画化された光子(柴咲コウ)や千草(栗山千明)。
「腹腹時計」を手に若きテロリストとしてシステムに抗う三村(塚本高史)たち。
修験者のように愛する人を訪ねる為に彷徨う杉村(高岡蒼佑)。
他にも有名にはならなかったが、それぞれの生徒たちの人生模様を出来るだけ映し出そうと試みるエネルギーは壮絶。
この「殺し合い」に否応なく飲み込まれるということ自体が「戦争」そのものだと言わんばかりの直接さが切実さを醸し出している。
加えて、教師キタノ(ビートたけし)の持つ、作品世界とは隔絶した「虚無」が生む不穏さ。
全ての整合性などをかなぐり捨てた様々な要素は意外にも前衛的でカオスな風合いにも関わらず、やはり活劇的なアクション演出とワンシーンワンシーンのショットの力で引き込んでくる点が「見事」というしかない。
確信的なショットや編集、テンポという「映画の力」によって現実な社会に挑もうとする意識の高さが素晴らしい傑作。