ワンコ

東京画のワンコのレビュー・感想・評価

東京画(1985年製作の映画)
4.5
【それぞれの東京】

(※ レストア版と同じです)

一見、小津安二郎を想い、ノスタルジックになっているのだろうかと身構えたりしたが、そうではない気がする。

この映画が撮影されてから、もうすぐ40年になる。

1983年というと、日本はもう少しでバブル経済の絶頂期を迎え、既に経済大国なる称号に浮かれつつあった頃だったと思う。

こんな中、小津安二郎を辿り、東京の今昔を見つめる「東京画」なんていう映画は、当時の日本では注目されなかっただろうし、この頃の映画と言えば、存命だった巨匠・黒澤明への注目度がまだ高かったことや、ヴィム・ヴェンダースの知名度が低かったことも、「東京画」への興味が広がらなかった要因のように思える。

ヴィム・ヴェンダースが日本で注目されるようになった「パリ、テキサス」は、1985年の公開だ。

1982年公開の「ブレードランナー」で、日本のネオン街チックな夜の歓楽街がエキゾチックだとして取り上げられて、日本人は少し自尊心がくすぐられた。
だが、ヴィム・ヴェンダースは、これをあくまでも客観的に捉えているし、竹の子族や、パチンコ、狭いドライビングレンジで黙々とゴルフボールをたたく東京の人々を撮ったのは、少しアイロニックに感じられて、経済が拡大中の日本では、少しうっとおしがられたのかもしれない。

ただ、この作品を改めて通して観て、ヴィム・ヴェンダースは、笠智衆や撮影監督の厚田雄春との対話を通じて、小津安二郎の人物像に触れ、ありのままを東京を見つめてみようと思ったのではないかと思うのだ。

自分の思い描いていた小津安二郎像との乖離。勝手に想像していたのより、様々な要求が、ヌーベルヴァーグの流れとは異なっていたかもしれない。
だが、小津安二郎の作品の価値がそれによって変化するわけではない。

小津安二郎の撮った日本は、実は、どんなだったのだろうか。

でも、それは、小津安二郎の日本であることは間違いない。

高度経済成長前夜の東京は、小津安二郎の東京とは少し異なっているのかもしれない。

でも、それも東京であることに間違いはない。小津安二郎が残そうとした”いつかの”人々の姿であることに間違いないのだ。

子供は、昔の子供そのままのように見える。

変わるもの。変わらないもの。

小津安二郎の好んだ列車の場面。
ヴィム・ヴェンダースの新幹線の場面。

演出の入り込む余地の少ない、この走る列車の場面2つを見せることで、対比とは異なる、どちらもありのままだという、受け入れるということを示したのではないのか。

実は、ヴィム・ヴェンダースの西ドイツも似たような状況だったからこそではないのか。

だから、ロードムービー三部作の最後「さすらい」では、変化を受け入れるさまを見せたのではないのか。

それは、僕たちが抗いながらも、受け入れなくてはならない変化なのではないのか。

現在の世界で広がる多様性を重視する考え方の一方、頭をもたげる分断。
加えて、コロナ禍で僕たちの価値観は揺さぶられている。
その中で、僕たちは、選択というより、変化していかなくてはならないのだ。

撮影監督・厚田雄春の涙する場面を観ると、小津安二郎を長年仕事をしたという誇りと、過去に囚われてしまっているのではないのかという孤独の両面を、僕は感じてしまう。

しかし、小津安二郎は熱田雄春と共に、未だ多くの人が越えようと思っても越えることが難しい映画の手法や演出を作ってきたのだ。

きっと、そんな葛藤の中で、僕たちはやりくりしながら、これからも生きていくのだ。

それは、それで良いような気がする。
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