CHEBUNBUN

孤独な場所でのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

孤独な場所で(1950年製作の映画)
4.5
【ファムファタールの対岸にいるDV男】
以前、「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載作かと思って観賞した『危険な場所で』は違ったので、リベンジとして『孤独な場所で』を観てみました。ニコラス・レイといえば女性版西部劇として『大砂塵』を発表したことで有名だが、本作ではファムファタールを逆転させることで男性の暴力性を捉えた大傑作となってました。

燻っている脚本家ディクソン・スティール(ハンフリー・ボガート)は行きつけのバーで乱闘騒ぎしてしまう。そんな彼は、成り行きでミルドレッド・アトキンソン(マーサ・スチュワート)を家に連れて帰る。脚本家予定の本の内容を聞いてアイデアをもらおうとしている。ここでフラグが沢山立てられる。彼女に酒を飲ませ、彼女は意気揚々と本の世界を熱演する中で「助けて!」と叫ぶ。それを向かいに住む女性ローレル・グレイ(グロリア・グレアム)が目撃してしまう。そして、ディクソンは彼女に金を与えて、帰宅させるや否や殺されてしまう。警察官は彼を疑い事情聴取をする。彼は証人として向かいに住む女性を呼び出す。通常であれば、「助けて!」と叫ぶ声が聞こえたと彼女が告発し、窮地に追い込まれるのだが、どういうわけか二人は恋仲となってしまう。ディクソンとローレルは暮らし始めるが、段々と彼の突発的な暴力面が浮き彫りとなり、「彼は本当にミルドレッドを殺したのかもしれない」と疑い始める。

本作は観客に神の目線を与えることにより、限りなくアウトに近いセーフゾーンを疾走するディクソンの不気味さに戦慄する。彼は飄々と仕事をこなすが、常に何かにイラついており、交通事故未遂が起きると、相手を撲殺しようとしてしまうのだ。そして、ローレルは事実を知らないのでひたすら不安を抱え怯えている。

ローレルはファムファタールだと思っていたら逆の立場であり、ディクソンこそが「致命的な男」だったのだ。この自然な、クリシェ破りの鮮やかさに圧倒される。そして、直接ローレルに暴力を振るうことはほとんどないのだが、空間が暴力となっていく。モラルハラスメントを空間で表現してみせるニコラス・レイに先見の明を感じます。

冒頭のディクソンがミルドレッドを持ち帰る場面や、空間や会話の間で暴力を表現する特徴を踏まえると『プロミシング・ヤング・ウーマン』に影響を与えた作品かもしれません。

また、本作はニコラス・レイのハリウッドに対するぼやきがにじみ出ており、例えば「今のハリウッドはリメイクばかりだ。そりゃ稼げるからね。」とディクソンに言わせていたりする。今も昔も、ヒットした作品に対して柳の下の二匹目のドジョウを狙う動きは活発だったんだなと知ることができてこれもまた良かった。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUN