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その男、凶暴につきのxyzのレビュー・感想・評価

その男、凶暴につき(1989年製作の映画)
4.0
マンザイブームで売れてからのたけしについては、世代によって差はあれ世間の誰もが知るところであり、ANNを聞いていた世代、特に男であれば大なり小なり何らかの影響を受けている。売れるまでの生い立ちについても、たけしのトークやドラマ、もっとファンなら本で知っている。

売れた以降のパブリックなたけしの転換期は、フライデー襲撃事件、映画を撮り始めたこと、バイク事故だと勝手に思っていて、中でもバイク事故は本人も語っているように自殺のようなものだ。顔が変わったのも大きい。単なるお笑いタレントや俳優であればその生命が終わったであろう程の変わりようだった。(フライデー事件も普通であれば終わっているが)

フライデー事件の3年後、バイク事故の5年前、初めてメガホンを取っている。
私達は初メガホンの前のたけしも、後のたけしも知っている。
その後にどういう映画を撮って、どういう評価を得たかも知っている。
本作のプロデューサーはビートたけしのラジカルさに目を付けて監督をオファーしたのだと思う。そしてたけしがその期待を遥かに凌駕して世界のキタノになったのだ。


本作の主人公 我妻、この男の虚無感と絶望感、暴力性はどこからくるのだろう。行き過ぎた暴力は仕事への強い責任感からきているわけではないし、そもそも警察への帰属意識も低い。(というか無い?)
カタルシスのための暴力でもない。
映画の中だけでは虚無感と絶望感、暴力性の理由が分からないのだ。
ただ、虚無感・絶望感と暴力は相互に作用していることは分かる。

フライデー事件の暴力が本作に繋がり、虚無感がバイク事故に繋がっているのではないか。


上述した通り初メガホンの前も後も知っているから言えることだし、初メガホンで監督と主演を兼ねていて、主人公 我妻=たけし本人との思い込みからそう見えるのも分かっている。

だけど、あの我妻=たけしの恐ろしいまでの絶望的な目はそう思わせるだけの説得力がある。
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