JAmmyWAng

捜査官XのJAmmyWAngのネタバレレビュー・内容・結末

捜査官X(2011年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

極めて個人的な解釈だという自覚が大いにありますけれども、ジミー・ウォング先生風に言えば"Every man has his technique, and they're all different"でございますから、ここは一つそーゆー事だよこのクソ野郎(死ね!)と思いながらゴミのような文章を打ち込んでおります。

物凄く憧れて夢中になっていた世界が過去にはあるんだけど、大人になるにつれて社会に迎合するためにはむしろ弊害へと変容していってしまって、逃げるようにそこから離れてしまった現状を過ごしている。しかし今改めてその憧れと対峙する事によって、現在を生きる自分自身として過去と向き合いそして乗り越えていく話ではないだろうかと僕は思うのです。

憧憬という文脈においてその関係性をスター・ウォーズに例えていきたいのですけれども、生い立ちを隠してタトゥーインという雲南省に暮らすドニー・イェン兄貴を、再び銀河の戦乱(=憧れのカンフー映画的世界)へと引き戻す人物は、レイア姫ことラウ家の育てたカンフー・プリンセス、クララ・ウェイに他ならないではありませんか!!

そして真っ当な人生を送るに当たって一番の弊害となり得る究極的な夢の存在こそが、ダースベイダーこと父親であり、パルパティーンこと皇帝(教主)であり、デス・スターこと天皇巨星であらせられる、我らがあくまで我らに誇る憧憬の結晶、ジミー・ウォング先生その人なのどああああああばばばばばば!!!!(吐血)

劇中においては過去とけじめをつける為に片腕を切り落としたドニー・イェン兄貴だったけど、メタ的な視点で捉えればその行為の意図はそんな生易しいモンじゃあ断じてないし、オマージュなどという行儀のいい尊敬などでも決してない。それは偉大なる片腕のジミー・ウォング先生に俺自身がなりきってみせるのだという、憧れに対して憧れそのものとして立ち向かう為の魂を掛けた片腕化なのでああああるっっ!!!

ドニー・イェン兄貴の片腕が繰り出す剣も拳も、それをジミー・ウォング先生自身が受け止めていくという夢のような光景を目の当たりにしますと、もしかして自分は死んだのではないかと、これは死ぬ間際に脳が見せる幻影なのではないかと錯覚してしまい、暫くしてこれが現実である事を認識すると、とめどなく溢れ出る涙によって眼前に三途の川が形成され、そこにおいて再び溺死しかけるという無限ループにただひたすら陥るばかりでありました。

そして何よりも感嘆すべきなのは、やはりジミー・ウォング先生はジミー・ウォング先生であるという事で、この人はそうした憧憬を受けるだけでは決して終わらないのです。

「そっちが片腕なら、こっちはコレだ!」とでも言わんばかりに、先生はすべての攻撃を跳ね返す鉄壁の気功を繰り出すワケなのですが、これは『ドラゴンVS不死身の妖婆』におけるあの妖婆の技ではありませんか!!!

電撃によって絶命するという結末に至るまで、これはまさにあの時の妖婆そのものでありますから、若い世代からの想いを受け止めるだけに終始せず、面白いものは貪欲に取り入れ、歩みを止める事を知らないジミー・ウォング先生のジミー・ウォング先生っぷりは、相変わらずジミー・ウォング先生をジミー・ウォング先生たらしめているぞっっっ!!!!THIS IS ジミー・ウォング!!!!!!

憧憬に対する俺達の想いを代弁してくれたドニー・イェン兄貴だけでなく、金城武のハードコアな唯物論的姿勢も、こうした魂の動向を逆に際立たせていてスッゲー良かったっす!やったね!!劇終!!!(超絶アヘ顔片腕ダブルピース)
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