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ドラえもん のび太とアニマル惑星の都部のレビュー・感想・評価

3.1
1990年代前後の開発問題に対する警鐘としての物語の側面が強い本作は、作品全体が環境保全の為のプロパガンダ的な言い回しに満ちており、社会的メッセージ性の色濃さが良くも悪くも妙な面白さを生んでいるのが自明である。

自然豊かな惑星で暮らす動物達と汚染された惑星で暮らす人間という対立構図も恣意的で、翻ってのび太の世界では街の大人たちと裏山を開発しようとする大人という同様の対立構図が、重ねて作品の意図を補強するように配置されている。たしかに問題提起は物語の奥行きを豊かにするが、本作は後者の立場にいる存在を徹底して身勝手な悪として定義しており、その作中の思想バランスの悪さは些か気になるというものだ。

なぜならアニマル惑星が神の手により栄えたことが作中で語られるが、ここでの語りで科学的な開発による恩恵に触れないのが卑怯で、自然と共生する生き方が出来るまでの"下積み"を無視した、出来合いの理想郷としてアニマル惑星があるというのは都合の良い見方だからだ。

また現実世界において、身近な環境が開発されるのを受けてのび太の母親が環境活動家の真似事を始めるシーンには妙な生々しさがあり、それまでその問題に興味を持っているような素振りもなかったのに、本や伝聞の知識を子供に言って聞かせる姿はブラックジョーク的な笑いを引き起こしている。『急に環境大臣みたいなこと言い出してさ』というのび太の冷静な指摘は完全に笑いどころである。

そうした色濃い自然思想と切っても切れない作品だが、正体不明のピンク色のモヤの中に迷い込んで別の惑星に辿り着くという導入は不気味と面白味を兼ねているし、そこから再度 惑星に訪れた時のがらんどうな街並みや奇妙な設置物の発見など、自分達の理屈や常識が通じるか極めて不明瞭な世界に迷い込む感覚の共有が成されているのは面白かった。
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