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デッドマン・ウォーキングのeverglaz0のネタバレレビュー・内容・結末

デッドマン・ウォーキング(1995年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

原作未読。
脚色したという断りが、エンドロールで表示される。

ルイジアナで活動する修道女Helenは、死刑囚Matとやり取りして貰えないかと相談を受ける。


篠田博之氏の記事によれば、日本では死刑が確定すると、家族と弁護人以外は接見禁止になるため、他人が接見したい場合は獄中結婚か養子縁組しか手段がないのだそう。宅間守元死刑囚と獄中結婚した女性の手紙を読んで、これほど慈愛に満ちた稀有な人間がこの世に居るのかと驚嘆しました。殺人犯に無償の愛を与えて、少しでも人の心を取り戻させ、贖罪の意識を引き出すことを使命とし、また「夫」の代わりに謝罪するとは。

Helenも相当な覚悟の上で引き受けたのだろうと想像しましたが、本作を観る限り、仕事を頼まれたから、拒否する理由もないし、何となく流れでやることになったという印象を受けました。Helenを演じたSusan Sarandonがアカデミー賞を受賞していたので、どれほどの熱演かと期待していましたが、終盤まで割と飄々としていたことも肩透かしでした。一方で、今では著名な俳優達が脇役で登場していたことは嬉しい驚きでした。

加害者側であろうと被害者家族であろうと、発言を傾聴するHelenの姿勢は一貫していました。世論は被害者側の苦悩を重視しがちですが、中立的な視点から、反省のない加害者にまず悔悟させるにはどう接するべきかと考えさせられました。子供を奪われても、同情する支援者がいる。命を奪われても、生涯嘆き、思い出してくれる家族がいる。そこには他者からの愛がある。誰からも見向きもされず見捨てられた哀れで愚かな者ほど、キリスト教的愛と救済の対象となるのか。ただ、貧しいひとり親家庭とは言え、Matには案じてくれる母親や仲の良い弟達が離れずにいたので、もっと人の痛みが分かりそうなものなのにという疑問が残りました。

私の涙腺を崩壊させたのは、死刑直前に犯行を告白するMatの嗚咽でした。4人兄弟の長男で、ナチスだのテロだのと強がっていたワルが、初めて被害者のために祈ったと。最期の瞬間まで、誰かが死刑囚の側に居て、「どれだけ酷いことをしてしまったのか」罪を自覚させることには大きな意義があると思いました。それと同時に、命のタイムリミットが目前に迫らなければ、改心自体が難しいのではないかとも感じました。

殺人を違法としているのに、法による殺人は認めている。確かにダブルスタンダードです。どの州か忘れましたが、昔友人が本の貸出を通して囚人を助けるボランティアをしていて、刑務所内の環境を嘆いていました。死刑の是非は兎も角、日本も犯罪・受刑者数を減らす社会的努力は必要でしょう。


様々な映画を観てきて、祈りや読経には、tranquilizerの効果があるのではないかと考えるようになりました。そういう演出がされているからかも知れませんが、これは同じことを繰り返す「○道」の型や作法にも通じるように思います。日本文化の「道(どう)」とは何か。調べると、技術・知識の向上と精神鍛練、総合的育成過程などと解釈されていますが、「何度も同じことを反復して得た最高の善」という(どなたかの)定義が一番しっくり来ます。所作を通して精神を鎮め、雑念を払う。その辺りは『日日是好日』が茶道で表現していました。

その「道」ですが、聖書には、「道」であり真理であり命であるイエスを通らなければ神のもとへ行けないとあります(John 14:6)。

映画はHelenと遺族が一心に祈るシーンで終わります。何度も共に祈ることで、人は歩み寄れるのか。怒りや苛立ちを抑え、今に集中し、前を向く。最善の祈りを捧げられた時、少し救われるのかも知れません。


“I just don't see the sense of killing people to say killing people's wrong.”


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Sister Helen Prejeanは、死刑制度が関係者に与える影響を懸念し、反対の立場を発信しています。作品の殺人事件は、Sisterが関わった囚人達の犯行と類似しています。Elmo “Pat” Sonnier は弟と共謀したカップル殺害で死刑となりますが、実際に殺したのは終身刑になった弟のほうだったようです。Patは電気椅子で処刑されました。ルイジアナの場合、最後の感電死刑は1991年だそうですが、全国的に薬品不足で過去の処刑方法が見直されているとのこと。
あの無茶苦茶ぶっとい点滴針😳14Gか?もっと太そうで鈍針なのに、本当に刺したように見えました。まぁSean Pennなら平気そうです😄不思議と最期まで髪型がバッチリ決まっていました。


イエスが率いたユダヤ教の一派(正真正銘のオリジナル)を ”The Way” と呼ぶ思想(啓蒙(米国・南米?))があります。
皆ユダヤ人だったThe Wayの弟子に対し、イエスの教えに従う「非ユダヤ人」を指すべく ”Christian” という呼称が生まれました(Acts 11:26)。多くの「ガイジン」キリスト教徒にとって結果的にピッタリな用語ですけど、真の精神的ユダヤ人を目指すThe Wayからすると、現存の “Christianity” は全て邪「道」に当たるようです。


Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?”
Jesus answered, “I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me. If you really know me, you will know my Father as well. From now on, you do know him and have seen him.”
(John 14:5-7) (NIV)
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