デニロ

みれんのデニロのネタバレレビュー・内容・結末

みれん(1963年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

1963年製作公開。原作瀬戸内晴美。脚色松山善三。監督千葉泰樹。

池内淳子や満島ひかりに演じてもらって瀬戸内晴美(寂聴)はさぞかし満足したろう。はて、図々しいにもほどがあろうというものだ。

開業医と見合い結婚していた池内淳子は、夫の選挙活動を手伝っていた学生仲代達矢と関係を持ち、夫と娘を捨て出奔。その関係はすぐに清算され、現在は着物の図柄を書き生計を立てながら、妻子ある作家仲谷昇と暮らしている。池内淳子ならそういう状況になるのも分かるのだが、何で瀬戸内晴美がそんなに、などという余計な思いはともかく、地元の名士の医者の若奥様を演じる池内淳子と、その後の酸いも甘いもを経験した女を演じる池内淳子の所作の演じ分けが何とも魂が籠っている。

冒頭、池内淳子の悪夢的から目覚めに至るシーンが彼女のこころの中に住むライオンをあらわしていて、その後の展開を支配する。随所に、彼女の過去を織り交ぜているので、徐々にこころの中に住むライオンが何故吠えているのかが見えてきます。

成り立つはずのない三角関係。池内淳子は微妙な安定の中にいる。仲谷昇、その妻岸田今日子。冒頭、池内淳子の夢はその微妙な安定感が実は自身の諦観によって成り立っているのだと思い至る。わたしが、ひとりなのだ。決して3ではない。1と2。そんなときにかつて手に手を取った仲代達矢がうらぶれた姿で現れる。彼女はそれにすがり付いてしまう。気付かぬうちに彼女は、自身と仲谷昇、仲代達矢という渦を巻いてしまう。気付いた時にはもはや収拾がつかなくなってしまう。

彼女の夫であった開業医が実に精力的に描かれていて、彼女は夫のその強さに生理的嫌悪感を感じているかのようだ。夫から逃れるため仲代達矢を踏み台に、更に幾多の男と関係を持ち仲谷昇に至るのだが、仲代にしろ仲谷にしろ開業医とは真逆で迫力のないこと夥しい。彼女が男に求めたものは寄る辺のない自身の裏返しなのかもしれない。

池内淳子と出会ったばかりの殺伐としたこころもちの仲谷昇と、もはや人生には何の感興もありませんといった風情の仲谷昇の演技には感じ入ったものだが、仲代達矢が眼を剥き小刻みに身体を震わせる演技には辟易する。時折本作のようなミスマッチな役柄が当たることがあるけれど、これが特長と言えばそうなんでしょう。

ラスト。交通事故現場に走る池内淳子。仲谷昇ではないか一抹の不安。最近観た『戦争と女の顔』を思い出す。やはりわたしは・・・、空き缶を蹴飛ばしながら仲谷昇の名を呟く池内淳子。作品名みれん、と出て終。超現実的。

神保町シアター 小学館100周年 生誕百年映画祭 にて
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