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寒夜
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『寒夜』に投稿された感想・評価

☑️『寒い夜』(3.7p) 及び『董夫人』(3.7p)『秘めたる想い』(3.0p)『跳灰 ジャンピング⋅アッシュ』(3.6p)▶️▶️
中国民族が(特有に)持っている心の闇とでも云うものに行き当たった、香港映画で普通思い浮かべるのと異質な位置にある、戦後30年間位からの4本を、この特集から取り上げたい。毛沢東や習近平といった、近代以降最大の悪人に自らの運命を委ねてしまったのは、毛や習の狡猾な手段の活用があったにしても、自分等に責任はなかったのかという観点にも繋がる。あるまじき本当の不安な世界を、安易なイメージの定着を避け微妙に描いた、新旧4本(の括りでいいのかな、正直最初に観た『董夫人』からして書こうにも作品の登録が1月初めにはなかったので⋅無理やり詰め込んだ~それでいえば映画史上ベストテンにも入るザヌッシーの最高作二本も未だリスト中に見掛けない)。
『寒い夜』は原作の力が多大なのだろうが、変な光明を見せずに中国社会の、善意の有無とは別の大きなちからに無気力の、マイナスの性向を描いてる。戦争中のニューズリールを使ったりはしてるが、戦禍から逃げまどうモブシーン、社交界の華やかなスケールなどしっかりかなりの大作ではあるが、日常の過程⋅職場描写は、かなりのろく、寄って行ったり⋅(壁を越えての)歩くのへの橫⋅縦へのフォロー、その他合わさったカメラ移動は妥協なくリッチだが、デクパージュ自体はかなり単調で工夫とは無縁のもの。しかし、その分映画的切れ味に逃げない、人間の微細な迷い⋅不安が洩れなく写し取られてる。前途ある師範学校出のカップルが、折からの日中戦争勃発で、出版社や銀行勤めに甘んじざるを得ず、それも疎開に次ぐ疎開(重慶までも)。戦時下で正式な式を挙げられず、また、知性や行動力で社会を渡り歩き⋅家事に主力を裂けない分、妻は義母に、不届きな内縁の妻扱いをされ、口論が絶えない。おまけに夫は結核に冒される。離婚切り出しや解雇ら何回かのショックの現れの度、照明以上に音響が強く響き貫くのも、単純手法なだけに実際こたえる、観てても。
「戦時下で、心の余裕を失ってる。戦時下だからこそ、許し協力を」と気弱な夫が声を振り絞って言った事で、家庭に希望の概念も見えて⋅ギスギスだけでもなくなってくる。しかし、結核の夫に対し、職場は正面きって言わない分、冷酷⋅敬遠が溶ける事はない。夫が解雇をやんわり云われ、妻は、自分に気のあ(り、離婚を勧め)る上司が昇進付きの更なる疎開地勤務に周囲の疑い覚悟で(仕送りの為)応じる。夫婦の心は必ずしも1枚岩ではないも、深い揺るがぬ絆は本人らが意識する以上に強まってる。しかし、夫婦の内にも燻り、社会に蔓延しているシビアに経済⋅環境だけに決定されて心を失った風潮は表立たず、詫び等も出しもするも、根を張った形状⋅強さは不動。そのあり方は違えども、変わらない何かをどの民族もマイナス面で手離せない、事を感じてくる。戦争が終われば(主舞台はS19)という掛け声も、いざその時来ても、基本的な解決にはなってこない。
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『董~』。絵が静止して音だけが流れてるのが何回か、効果狙いというより、音ネガだけ残り絵のネガは欠損していての、復元時の応急措置だろう。それくらい全体にも画質の状態は劣化している。背光⋅ソフト⋅白霧立ちこめが元々のトーンではあっても。元々も低予算で造る苦労がしのばれ、とりあえずはご苦労様の労作。成功作かどうかは別にして、地獄の入口で閻魔さまに見せて恥じない作。当時、世界に蔓延した、スタジオ崩壊し、ライティング不全⋅ズーム多用⋅弦や琴的なリリカル心理的使用⋅自然同化、の代表的スタイルの作。日常シーンの編集は90°や斜めに角度変え⋅縦図望遠⋅物越し図⋅ふやける灯の高感度図⋅直交はしない切返し⋅半端なズーム+移動、とあまり上手いとは言えずも、無意識や脱力感に沿うかなり長いOLカットの多用⋅連ねは、ジャンプカット効果表しの他動きを前後行き来させ⋅繰返し、過去の鮮烈⋅気に掛かるイメージ⋅記憶を挟み込み⋅あり得なかった願望の未来迄描く。それはOL迄行かずも、感性連ねシーンでも行われる。渇望⋅焦り⋅不安らが、通常シーンの合間に固まって入ってきて、意識の疲弊以上に現実は、周囲が欠落流れ出し、太い木材食卓の奥に1人だけ⋅空いて無人の座布団ら、無駄に多い鶏や生徒ら(CU⋅OL)が囲ってくる。生気から遊離、心の拡がり止まらず空洞。かなりの部分が60年代後半ピークの実験映画の手法とカブってる。懐かしく、また染み入る。一般に両グラウンドが最も接近した時代だ。アンダーグラウンドという世界が今や喪失し、世界に闇、表現に地下、はなくなったみたいな錯覚が罷り通ってるが。
明の時代の奥地の村に官兵が匪賊対策で駐留。隊長がリスト洩れしてて、教師⋅医師⋅碑申請らをして尊敬されてる、文官の未亡人のうちに。和尚らを招いての中秋の宴、始め距離測る2人、娘の介入に助力の側に、廻ってく微笑ましくも痛々しくいつしか積まれてく歪み⋅澱み。やがて形として、去る娘夫婦、義母の死や永年の使用人の位置、政府から上がる丈の評価、空洞が残り⋅先までを侵してく。変わらぬは山々や川や村のベース。女性としての、転換期での、人生⋅創造の困難との闘いと、突き抜けの疲労感。
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そういった、映画界や世界の価値観が揺らいでの独立プロ系よりも、終戦直後の物資不足の頃とはいえ、スタジオ⋅ドラマは安心して観れる『~想い』。ミニチュアやセットもかなりチャチとはいえ、またリアルな臨場感なく、日本憲兵含めメイクやキャラがどうにも人工的⋅子ども騙しだが、明瞭な台詞録り⋅しっかりメロドラマ仕立てはスッキリ力を感じさせる。
日米開戦で日本軍の完全支配となった上海で、直接的危機で報道員やゲリラとしてこの地を去った人らの後、抗日は明確に打ち出せずも心は国の犠牲に捧げ、親日派の力やその堕落に、金や口添えは依存する事あって責め合う事あっても、潔白⋅闘いの心を持ち続けた、教師⋅記者の妻(夜の歌手こっそり)の気概と密かな恋情(を実らないから逆にキッシリ描いてる)。90°変やどんでん、横の移動やパン⋅フォロー、廻るめ⋅DIS、歌唱の表情と歌詞、キレはなくもシッカリしてる。
荒廃から未来へ、という時は(今でも)映画というのは、この程度にあまっちょろいのがいいのだ。
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『跳灰~』。 流石、(宇田川幸洋さんらのプッシュのせいか⋅あらゆる映画ファンの頭の片隅から『風の輝~』の感触が消える事はない)レオン⋅ポーチ。こういうのを本当にお宝というのだろう。設備やルーチンのないアマの作か、迫真狙いもやはり下手なプロの作か、どうでもよくなってくる作。香港版『フレンチ⋅コネクション』で、定年間近の生ぬるい警視の下、行き過ぎで休職中も突っ走る若い警部。目指す麻薬密売組織の大ボスには、彼に歯向かう、大事な資料を略奪して、胸元に刃を突き付け続けてる、男がいる。頭を半ば禿げ上がったパッとしない中年なのに、クンフーの名人で、怪我中は警察保護を求めたりするクレバーさ。ボスの方も、彼以上に鋭利で非情な、暖かい血など1滴もないような、空手名人の殺し屋を雇い、牽制させ⋅場合によっては命ごと奪おうと。警部も、忍び込み変装し医師として、療養反古中の中年を(彼にも同僚医師に変装させ)抜け出さす等、違法や暴力平気。
SD画質版しか残ってない程素材自体が劣化し、ラスト辺には主題歌もあるが、特に前半は耳障りな神経質逆撫でる異音的音響のかき鳴らし、それに併せ暴力描写⋅情況確認取合いも、それ自体不安定で不気味なタッチ続き。背景ハイキー飛びも、型と事故のどっちに付いてるかわからない格闘も、車やあらゆる物凶器化も傷口ダメージも、階段⋅テラス⋅ドア⋅路上あらゆる神出鬼没のイージーよりリアリティ、俯瞰Lになったり⋅手持ち回り込み寄ったりも⋅角度変えや切返しも⋅コンベンショナルよりも不安定気分次第フリーハンドの不安が尽きぬ。フライシャーどころでなく、危ないのの浸透。それでいて、不安定キャラらが結構いとおしい。思いつきリアル突き進み、モラル無視も、この作家の想定掌の中の世界かもしれない。デクパージュは一応(荒っぽい追い続け暴力まで)体裁を取ってるが、隙や脇ウェイトが付きまとう。というより瞬間の現実と映画を繋ぐ空気に向き合ってる感。そのフッと呼吸がカッティング。安っぽさが恐ろしい表現の武器になり続けてる。
mingo
3.4
1955年verレイ・サンフォン監督作。プロパガンダ色が強く日本映画を真似したようなメロドラマで、主人公が魅力的ならもっと感情を乗せて観れただろうが嫁に出て行かれ喘息持ちで嫁姑の諍いも弱々しくやめれてくれ〜と言うあまりにもだらしのない主人公に苛立つ。「黄飛鴻正伝」でも冒頭獅子舞が出てきたように香港映画にとっての獅子舞の踊りとしての立ち位置が気になったが、ラスト戦勝パレードで獅子舞踊りを見つめる主人公に対して参列者が火を踏み歩き抜けるカットだけが良かった。この時期の香港映画まだ未完成すぎて台湾映画の方がシン・チー作品しかり軍配が上がる。
原作は巴金の『寒い夜』。中国の映画は原作に忠実なものが多い。